半年と10年。その節目を迎えてTVや新聞は特集を組んでいました。
10年前、仕事から帰り食事も終わりごろになって突然飛び込んできた驚愕の光景。その後2時間はTVの画面に釘付け。今起こっていることをどのように解釈したらよいものやら、ただただ茫然と画面を見続けることしかできません。半年前もまったく同じことでした。
東日本の復興について、コメンテーターがこのように語っていました。「根拠ある悲観論のうえに根拠ある楽観論を構築することがこれからは大事」だと。まったく同感です。「根拠ある」ということに対して目をつむり(つむらされ)、あまりにも曖昧さのままここまで来たと思います。それは政府や東電、そのほかの当事者側がそのように誘導してきたからに他なりません。
その代表的な例が、同心円の避難区域設定、避難区域の危険度段階別の呼称、例の「直ちに・・・ということはありません」、危険度判断基準の設定とその対応の一貫性のなさ、それに玄海原発にからむ知事発言。挙げればきりがありません。今回の「死の町」「放射能をつけちゃうぞ」発言や、その前の「自分で考えろ、そうじゃないと予算はつけないぞ」発言は、やはり「根拠ある悲観論、根拠ある楽観論」をないがしろにしてきた結果だと言えば、すとんと理解できます。決して納得できるものではありませんが。
| 去年の朝顔の種がやっと花を咲かせました 薄紫花 |
もうひとつ、気になることがありました。ある公共放送の被災地からの中継で、現地アナウンサーが「被災地に、被災者に○○してあげる」という言葉を何度も使っていました。以前にもこの無神経な表現を使うコメンテーターがいてカチンときましたが、公共放送の現地アナがなぜこの“上から目線”の言葉を吐くのか。
言葉の向こうにだれがいるのか、だれが耳をかたむけているのか、その認識がなさすぎる。これもあるコメンテーターの発言です。
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