2012年7月30日月曜日

Hey Jude

オリンピックの開会式フィナーレはポールの ♪Hey Jude という演出でした。スタジアム全体の合唱もあり、想像以上の盛り上がりになりました。

「実はクチパクの予定だった」という情報が流れています。
それを裏付ける出だしの音響の不手際。

ポールの歌い出しが間違ったのか、そんな心配をしながらチェックしつつ聴き入りました。なにせポールには歌詞間違いの前例がありますから。

随分前になりますが東京公演の際の♪Yesterday、TVの中継を見ながら気づきました。
9.11チャリティ・NY公演での♪I'm down. これはCDを聴いてまたかと思いました。

いずれも歌詞の間違いです。関係のない歌詞が入るのではなく、1番に2番の歌詞が混じるというようなミスです。今回もその心配がある、ポールが歌うと聞いたときすぐに思ったことです。

出だしの音響トラブルはそんな心配にしっかり応えてくれました。そして、歌詞の間違いも前例と同様のパターンでありました、やっぱり。


蓼科のイングリッシュガーデンにて
久しぶりに映像で見るポール。70歳の顔のたるみはありましたが、ピアノ演奏は文句なし。はりのある声も歳を感じさせません。そして、ピアノから離れて会場の人たちを大合唱に巻き込む。盛り上がりを最高潮にもっていくとは、まだまだ現役です。

♪Hey Jude はジョンの子供・ジュリアンを励ますためにポールが制作したと言われています。ジョンの離婚話があり、元気がなかったジュリアンを何とか励まそうというポールの優しさ。そう思って聴くと、甘くてつやのある彼の歌声にさらに魅力を感じます。

ジョンはその後ヨーコとつながり、それが原因でポールとの仲が悪くなる。その頃の曲にはお互いを罵倒するような言葉が入るようになり、やがて迎えた解散。

ジョンは銃弾に倒れ、ジョージは病に倒れ、残るはポールとリンゴの2人になりました。

彼らの曲は今でも私にとってはNo.1です。

2012年7月24日火曜日

検査結果

蓼科のイングリッシュガーデンで購入したムクゲ、
ブルーサテン。上品な薄紫

今日は先日のホルター心電図の検査結果通知の日。
最寄りの駅から病院まで、午後の蒸し暑い道路を歩く。10分強、何となくだるい。

途中、胸のあたりに圧迫感を感じてきました。
数ヵ月に1度、寝てるときに襲われるアレと同じものです。
昼間に体験するなんて初めてのことです。

診察に入る前に食堂で焼き魚定食。
胸部に違和感をもったままなので、まずい。


診察室に入ると何だか明るい感じの医者の表情。

ドックで検知されたサドルバックの波形がなくなり、不整脈の影も形もない、安心してください。いや、でも。何とか自覚症状を伝えように試みる。ときどき胸が締めつけられるようなことがあり、たまたまここに歩いて来る途中にも同様の症状があった、と。

医者は半信半疑の表情。

しかしようやく、じゃーもう一度心電図をとってみましょうか、という言葉を引き出す。
締めつけの症状が完全になくなっているわけではないので、もしも心臓に原因があるのなら…。しかし、結果は同じでした。

良かったですね~、サドルバックは消えてますよ。波形を一緒に見ながらのコメント。でもすっきりしない。

じゃあ、この症状は心臓とは別の原因ということなのでしょうか。一旦はそれで納得するしかありません。

これからも年に1度はホルターで状況を確認した方がいいと言われましたが、それが妥当なことなのか…。


これも別種のムクゲ
別の心配事。運動制限のためお腹周りに余裕が出てきているようです。
急きょ、“対策”を始めました。腹筋、ダンベル、ウォーキング。土曜日1万歩、日曜日1万7千歩。そして今日も1万7千歩。

体型が変わる前にランニング&ゴルフ解禁となりますように。

2012年7月18日水曜日

木曽路へ

木曽路を訪ねました。
馬籠は20年ぐらい前に行ったはず。
でもそのときの記憶はなぜかほとんどありません。

馬籠宿の坂を下りてきたあたり
駐車場を出て街道筋を歩き出すと、そこらじゅう高齢者がにぎやかに歩いています。夫婦とは別に、なぜか男性グループが目につきます。

入口から50mも行くと急勾配に変わり、石畳が上へ上へと続いています。道幅は3、4人がようやく歩けるくらいでしょうか。この狭くて急勾配の道筋が木曽路であり、馬籠宿だったということか。

「すべて山の中の木曽路」が旅人にはどれだけつらいルートだったか、この場に立ってみて実感できました。

長い坂の中腹にある本陣は藤村の生家。そして今は藤村記念館。一歩中に入ると維新後の往時を偲ぶことができます。夜明け前の主人公・青山半蔵、そのモデルとなった藤村の父が精神的病のために軟禁された隠居所も、当時の姿を残しています。

資料館には今年1月の朝日新聞の切抜きが掲示されていました。「あー、これだ」思わず言葉がもれそうなくらい納得。記事には「夜明け前」にまつわるエピソードがいくつか紹介されていました。混迷する今の政治状況も夜明け前なのだろうか、などとも。

これを読んで「夜明け前」がずーっと気になっていたのです。

雨にぬれた石畳と街道沿いの紫陽花が印象的でした。

馬籠から妻籠へ。

妻籠宿の枡形入口から街道を望む
妻籠宿の町並み、本陣・脇本陣の建物は平成になってから復元されたということ。日本で最初の街道復元だそうです。馬籠とは違って古い佇まいを残しています。石畳もありません。平坦な筋にそって寂れた雰囲気の家が連なっています。

脇本陣では地元のおばさまがガイドをしてくれます。
囲炉裏を囲んで家族が座るのにもしきたりがあるということ、ひとつ学びました。ここの本陣から馬籠の本陣、青山半蔵のもとへ嫁いだ人、それが藤村の母です。

アップダウンがあるからゴルフは止めときなさい、と医者に言われてしまい、3ヵ月はゴルフもランニングも中断することに。なのに木曽路は決して平坦ではありませんでした。

2012年7月9日月曜日

ホルター心電図

24時間の心電図計測です。

電極・計測器具を5日の朝取り付け、翌朝取り外しました。その間、24時間心電図を計測するというものです。

ドックで2年続けて不整脈が検知され、「突然死の可能性がないとは言えません」などと医者に警告され、しぶしぶホルター心電図など大袈裟な検査を受けることにしました。

胸部に3ヵ所、腹部近くに1ヵ所、脇腹に1ヵ所、電極を5cm四方のテープで貼り付けます。さらに計測器具をへその上部にベタッと。万歩計よりちょっと大きいものなので、首からぶら下げるものかと思っていたのに…。

そして行動記録表が渡されました。
起床・就寝、食事・お酒、歩行・車運転・電車、階段昇降、仕事、そしてトイレなどなど、24時間の行動を記録して心電図の動きとの関連性を見るためのものということでした。

装着のときに技師(?)の女性に言われたのが、「痒みがでるかも知れませんができるだけ触らないように」ということでした。仕事がそんなに動きまわるものでもないし、エアコンが効いている室内中心なので、大した痒みはでませんでした。

ただ、予想外だったのは外した後、皮膚がテープにまけたようで胸部・腹部の6ヵ所真っ赤。そして尋常じゃない痒み。かき出したらさらに痒くなる。ネットで調べると粘着力の強い特製のテープだそうで、皮膚が弱い人にはかぶれが生じるのが弱点だそう。

仕方なく、薬局で痒み止めを購入するはめに。
その後、数日が経過しましたが、ようやく色も沈み、痒みもおさまりました。

解析後の診察は24日。
おそらくどうってことない結果なのでしょうが…。

2012年7月3日火曜日

夜明け前

1ヵ月ほど前に読了。

「木曽路はすべて山の中である。」の書き出し。馬籠・妻籠が舞台。和宮降嫁の大行列エピソード。もちろん藤村(とうそん)の作品。そういったことしか知らなかった「夜明け前」。

なぜか気になっていました。
この1年ぐらい、新聞のエッセーで複数回、本書のことが書かれていたからです。

それからは書店へ行くたびに藤村の名前を探し、「夜明け前」を求めてきましたがなかなか見当たりません。そして神保町三省堂でようやく見つけた新潮文庫。ページをめくってみると字が小さい。そんなに進んでいなくとも老眼には可読不能。
別の棚で見つけた岩波文庫。文字は若干大きめ、しかし全冊そろっていない。周辺の古書店を巡るもさっぱり。近くの岩波ブックセンターにないはずはない。期待して行くも、品切れ。

さらに古書店を数軒まわって、やっとのことでセット売りを手にすることができました。


全4冊、こんなに長編だったとは…。まずそれに驚きました。
読み進むうちに、「これはとんでもない大作だ」と身構えてしまうほど。まさに圧巻。

黒船来航、徳川幕府の衰退、和宮降嫁、参勤交代の廃止、桜田門外の変、長州征伐、水戸天狗党の乱、大政奉還、戊辰戦争、都の移転、版籍奉還・廃藩置県、西南戦争、…あのたった数10年の間に目まぐるしく移り変わった時代。

木曽路はそれらにからむ多くの人の往来に重要な役割を果たしていた、ということ。当時は東海道よりも木曾路を含む中山道の方が重要ルートだったのでしょうか。

そこに住み、暮らしていた人たちが急転回する歴史の中で、翻弄されながらも必死に生きていた。そして彼らにとっては、明治になっても、実はいつまでも夜が明けなかった。

「夜明け前」のメッセージはそういうところにあるように思いました。
知った気になっていた作品をじっくり読む機会をえて、ほんとに良かった。
そんな読後感です。