2011年11月28日月曜日

あるじなきもの

数日前の朝日「プロメテウスの罠」で扱われていた「無主物」。
はじめて目にする文言です。

二本松市のゴルフ場が、汚染されたゴルフコースの除染を東電に要求した際、東電側が主張した論拠がこの「無主物」でした。「無主物」とは、ただよう霧や海に泳ぐ魚のように所有者が特定できないもの。飛び散った放射性物質も「無主物」で、東電の所有物ではないという。飛んでいったもの、他人の土地にくっついたものに東電は責任を持つ必要はない。

出鱈目な主張です。結局、裁判ではゴルフ場の要求は取り下げられましたが、裁判所の判決理由に「無主物」の文言はなかったようです。

雨の知覧、武家屋敷
除染で解決する。
そんなことをまことしやかに当局者が語っていますが、果たしてそんなことができるのでしょうか。コストの問題もありますが、実際に可能な作業なのか信じられません。庭や公園、道路。幼稚園や学校。とくに子供が集まるスペースの除染を優先するとは思いますが、除染が後回しになったり、結局できなかったりという地域は想像以上に広いはず。そこに残っている放射性物質は風や雨で除染済みエリアに移動します。そしたらまた、そのエリアを除染するのでしょうか。何度も何度も。

もっと科学的な方法はないものなのでしょうか。政府・民間総力で、その手法の開発に人と金を集約して臨んでほしい…。


二本松のゴルフ場は例年プロの大会が催されていたようです。
しかし、こんな状況。
来場者数も減少し、いずれ閉鎖という流れになるのでしょうか。

2011年11月23日水曜日

あと20日!

あと20日。
フルマラソン出場まで残り20日となりました。
今日を入れてトレーニング可能な日数は5日しかありません。

今年は1月以降の月間走距離が100kを超えることがありません。こんな状態でフルが走れるはずはない。気合を入れなおし、先月のハーフ、今月の味スタ駅伝、この2つの大会を機に徐々に走り込みを強化。そしてようやく、11月の走距離がこの前の日曜日で100k突破。月間では150kのペースに上げることができました。

気合の入れなおしのもう一つ。それは横断幕の制作です。東京マラソン08で、佃大橋という最大の難関を前にして、佐藤さん手作りの横断幕「○ちゃん頑張れ」には、とても元気づけられました。それを思い出して、駅伝に間に合わせて制作したのが1m×3mの大横断幕です。
味の素スタジアムの観客席に大きく目立って


メインメッセージ「まだまだ行ける! 激走だー」、サブ「We Can Work It Out」。そしてみんなのサインスペースのセンターに“RUN WITH US”      「まだまだ行ける」は「歳をとっても」という言葉が前に隠れている、掛け言葉でもあります。(誰も気づいていなかった!) サブの We Can Work It Out」はビートルズの曲。ホノルルマラソンのスタート地点へと歩いているとき、現地の人から「You Can Work It Out !」と声をかけられたことがあり…。

今日は天気は上々、30k走にチャレンジ。→(追記)20kで終え、次に持越し。

2011年11月15日火曜日

秋晴れのもと、大駅伝大会

13日の日曜日は「味スタ6耐」でした。
チームで襷リレーを繰り返して1周2kのコースを6時間走り続ける、という競技です。


味の素スタジアム

味の素スタジアム(サッカー場)のグランドにリレーゾーンが設置され、そこで襷を受け取ると場外に出ます。近くの駐車場や空き地を抜けて、スタジアム周辺をぐるりとまわり、再度場内に戻ってくるコース。坂はスタジアムを出るときの上り、戻ってくるときの下りの2箇所しかありませんが、これが足にこたえる急坂。

走り始めると2kなんてあっという間なんですが、まわりに刺激されていつもより無理をするので、戻ってきたときにはみんなクタクタ。チームによって走り方は違いますが、1周ずつ交代しているチームはスピードがすごい。


そんな中、ソロ(1人)で参加している人もいました。そしてソロの優勝者はなんと76kを1人で走り続けた! 2kしかないコースを1人で38周。目がまわりそうです。ちなみに私のチームは4人で34周だったとか。全チームの丁度真ん中ぐらいの順位です。比較的若い、30代中心のチーム編成がボリュームゾーンのような印象だったので、満足のいく結果を残せました。

10時にスタートして16時の終了まで、待機時間が長いのでどうやって時間を潰すか、そんな心配はまったく不要でした。リレーゾーンで応援したり、写真をとったり、ストレッチをしたり、そして昼食をとったり。楽しい、充実した1日でした。



2チーム一緒に横断幕を背に
横断幕(1m×3m)は私手作りです
 

打上げの飲み会では、5月ごろハーフマラソン大会にみんなで出場することを約束。平均年齢〇歳の元気な仲間です。

2011年11月12日土曜日

東京マラソンドキュメント⑨

■東京マラソン08 【最終章 自己ベスト更新へ】

佃大橋への直線に入った。商工会議所の仲間が応援体制に入っているはずだ。
目に飛び込んできたのは「●ちゃん頑張れ」の横断幕。次に顔が大きい高野さんの笑顔。娘2人も合流してカメラを構えていた。周りを見ると佐藤さん、川村さん、横田さん。帽子をとってみんなの声援に応える。嬉しい。元気が出た。
しかし、佃大橋の上りは固まった両足にずしんと応えた。去年はこんなことはなかった。冷えてきたからか。風が出てきたから。海に近いから。ロングスパッツが正解だったか。そしてSWS最後の応援ポイント。10人以上の仲間が激励の言葉を叫んでくれた。素晴らしい仲間たち。有難う。両足を引きずる格好で、みんなに笑顔で応えた。

さー、あと6kだ。この後応援はない。iPodを取り出す。前日編集した「元気が出るプレイリスト」を聴きながら、上がらない足をずりずりと前へ、前へ。豊洲の直線が異常に長い。そしてようやく東雲を右折。

35-40kは33分30秒。昨年より1分30秒早い、これでも…。顔をゆがめて、地を這うようにしてようやくここまで来た。太もも、膝の筋肉は紛れもなくしっかり固まっている。歩きよりちょっとだけ早いペースだ。
そしてついに、残り1k地点で立ち止まってしまった。その場でストレッチ、慎重にやってみた。とくにどこが痛いというわけでもない。筋肉が冷え切っただけなんだろう。

よし、泣いても笑っても最後の1kだ、走るぞー。気合を入れなおす。すると完全に身体が前半の調子に戻っていた。これならいける。まわりのランナーをどんどん抜いて、6分ペースでゴールに飛び込んだ。4時間12分22秒。10分短縮、自己ベスト更新。嬉しいような悔しいようなゴールタイムだった。サブフォーは次回のお楽しみだ。


ゴールしてからが大変だった。両足首に急に痛みを感じ、地べたに座り込んでしまった。まわりには同じように、意識が遠のいたようなランナーが座り込んでストレッチしている。達成感に満足している表情は見られない。なんとか立ち上がって靴を脱ごうとすると、左足が激しくつった。ひっくり返ってつま先を手繰り寄せ、応急処置を施す。こんな激しいつり方は初めてだ。

駅から家までの途中、余りにも両足太ももから下が痛く、身体も寒さでぶるぶる震え、歩けない。何度も立ち止まってやっとの思いで辿り着いた。(完)

2011年11月9日水曜日

東京マラソンドキュメント⑧

田原坂、戦死者墓碑 30年前はなかった

■東京マラソン08 (第2章 遠のくサブフォー)

スペシャルドリンクは昨年と同じ、蜂蜜入りレモン水。甘酸っぱいこのドリンクが後半の元気の元になるはずだ。

日本橋を過ぎ、25kに向かう茅場町あたりで道路の反対側から応援の声があがった。おー、またもや発見力抜群の若松さんが叫んでいる。そばにはSWSの仲間が数人。手を振って応えた。予定外のポイントでの応援に嬉しくなった。次は蔵前のはずだ。

20-25kは29分24秒。この5kは昨年より20秒しか早くない。ペースが落ちてきたのがはっきりわかる。膝の上下に少しずつ疲れを感じてきた。こういうときの走り方が難しい。無理せずじっくり行くしかない。最も心配していた腸脛靭帯炎の症状は出てこない。このまま行ってくれー。神頼みだ。

蔵前では予定のポイントで、応援企画プランナーのモトイさん初め、仲間の集団声援を受けた。「ありがとう」。声には出せず、手を振って感謝の気持ちを表す。

雷門の折返しコーナーは、ここもまた黒山の人だかり。四重、五重に応援の列が重なり合っている。もしかしたら商工会議所の仲間が応援に来ているかもしれない。左に寄ってみんなの顔を見ながら走る。厩橋まできたところで、「ペースが遅いぞー」という檄が飛んできた。鈴木さんだった。やっぱり来てくれたんだ。でも「ペースが遅い」と言われても、「一杯いっぱいだよー」。

戻りの蔵前では、行きで受け取れなかったウィダーインジェリーをモトイさんからもらった。すぐにふた口、流し込んだ。
膝の上下が寒さを感じ始めている。体温が下がっているのか、筋肉が固くなっているような、そんな不安が徐々に募ってきた。

25-30kは30分33秒。ついに30分を超えるラップになってしまった。去年より1分近く早いが、段々だんだんペースが落ちてきた。
顔の表情も余裕がなくなっているはずだ。こんなときは我慢、我慢しかない。
銀座でバナナをひと口分受け取り、口に入れる。でも元気が出ない。きつい。歌舞伎座を通過したことに気づかないほど、きつさが溜まってきている。辛抱、辛抱。

築地を左折。本願寺前で女性の声援を受けた。「ありがとう」手を振りながら大声で応えた。声が出たことにびっくりした。
30-35kは31分46秒。去年より2分早いが、もうジリ貧だ。サブフォーの夢は遠のいた。残念、無念、でもどうしようもない。(次へ続く)

2011年11月7日月曜日

雨は降るふーる

当時の道標でしょうか、ひっそりと佇んで

田原坂。
西南戦争は最後の内戦と言われていますが、その戦いで最も多くの犠牲者を出したのが田原坂です。17日間で4千名の戦死者という激戦につぐ激戦。なぜそれほど多くの犠牲者が出たのか…。

先月末に訪れた山鹿、田原坂、熊本城、鹿児島、知覧。
いずれも初めての地ではありませんが、30年ぶり?の田原坂は海音寺潮五郎の「田原坂」を読んだばかりということもあって、自身の視点も変わりあらためて史実の確認をすることができました。

みかん畑の向こう、戦場跡を臨んで
なぜ田原坂が戦略拠点として重要だったのか。
なぜ薩摩示現流が俄か兵士に負けたのか。
なぜ新政府は薩摩軍を徹底して叩いたのか。
そもそも西郷さんはどんな気持ちで鹿児島を出発したのか。

記念碑の近くに立つとすぐに雨が降り出すという、見事な演出。



雨はー降るふーる、人馬はーぬーれーる、越ーすーに越ーされぬ、たばるざーか。

西南戦争は一部、旧賊軍・会津と旧官軍・薩摩の戦い。会津が官軍として、賊軍となった薩摩に恨みをはらす戦いでもあったと言われていますが、一方では薩摩と薩摩の戦いという事実もあります。新政府としての薩摩と新政府から離反した薩摩、「大久保」と「西郷」の戦いです。そのため戦場では、近親者が、友人が、師弟が、敵味方に別れて殺しあう、壮絶この上ない戦いが繰り広げられたといいます。

西郷さんが戦死したあとたった半年で大久保さんも暗殺されています。鹿児島の観光バスでそのガイドを聞いたとき、とても不思議な気持ちになりました。

雨で桜島が見えない、残念な城山からの眺望でした。

2011年11月5日土曜日

東京マラソンドキュメント⑦

湘南マラソンでは仲間の見事な完走、好記録が達成されたようです。ついにサブフォーも出現。快挙です。

そして次は「味の素6時間耐久駅伝」、13日の開催です。チームで2kの周回コースをリレーしながら6時間走り続ける。一人が何周しても、何回リレーしてもよい、自由なルールです。私たちは4人のチームなのでノルマ目安は1時間半。残り4時間半は待機。どちらかと言うと4時間半の使い方が気になります。音楽を聴いたり、本を読んだり、いろんなことができるようにしておきたい。しかしそれだけでは、と横断幕制作を思いつきました。待機者が白地の横断幕に文字を書いていく。結構楽しいかもしれません。

東京マラソン08を今回から数回に分けてアップします。


生憎の雨にけむる二の丸入口、熊本城

東京マラソン08 (第1章 サブフォーも夢じゃない)

2月17日、晴れ、最高気温7度、微風。絶好のコンディションでスタートできそうだ。

スタートゾーンへの移動はすごい人の波を掻き分けて進むことになった。200mぐらいの短い距離を25分近くかけてようやくDゾーンに到着。気温は3、4度ぐらいで空気が冷たい。しかし風も雨もないので、ランナーはただただ静かにスタートの9時10分を待っている。昨年のように強い氷雨のなかで悲壮感を漂わせ、ぶるぶると小刻みに足踏みすることもない。

手短なセレモニーに続いて車椅子マラソンがスタートした。あちこちから歓声があがる。車椅子ランナーへの声援と、いよいよ次は自分たちの番だ、そんな気持ちで一杯なんだと思う。

スタートの号砲、なったはずだがここまでは聞こえない。誰も動かない。しばらくしてちょっとだけ前に進む。すぐに立ち止まり、また前に進む。そんなことを繰り返しながら、ようやくスタートゲートが見えるところまで来た。スターターの台上に都知事がいた。「慎太郎、有難う」と叫んでいるランナー。同感、同感。

ゲートを通過したのは、号砲がなってから6分近く経ってからだった。ストップウォッチのスタートボタンを押す。この瞬間、いつもわくわくする。気持ちが逸る。
最初の右折ポイントまでの300mぐらいで、普通に走れる流れになった。風がないから寒くない。短パンにしてよかった。

「最初の5kは抑えて、抑えて」
そう言い聞かせながらペースを模索する。走り出しのイメージは28分から28分30秒のペース。下り坂のせいでセーブしないと自然とペースが早くなる。給水ポイントはそのまま通過。飯田橋の5kポイント、28分07秒。まずは予定通りのペースだ。

この後は中間点を2時間以内で通過することを目安に、ペース配分していくことにする。

10k手前の二重橋前で、SWSの美奈子さん発見。でも向こうは気づいていない。声をかけようか迷ったが、そのまま通り過ぎる。他にも誰かいるだろう、そう思いながら左側の観衆を横目に見ながら走る。すると今年も最初の掛け声を若松さんより受けた。彼の「発見力」にはいつも驚いてしまう。転職してもいいんじゃないかー。でも、どんな仕事? そんなことをつらつら考えながら、日比谷の交差点を右折。ここから品川の折返しポイントまでは「箱根」と同じコースを走る。そう思うだけで感動する。
27分23秒で5-10kを通過。気持ちものってきた。

内幸町の手前でトップ集団とすれ違う。20人を超える大集団。さすがに速い。このあと彼等とは、もう出会うことはないだろう。

10-15kは27分51秒。
ミッキーとミニーに仮装したランナーがすぐ後ろにいたため、
「ミッキー頑張れ、ミッキー早いぞ」という歓声が後ろをついてくる。自分に元気が出るわけではないが、子どもの声援もあって気持ちが明るくなった。

中間点、1時間58分16秒。
目標にした「2時間以内」をクリア。そして昨年のタイムを6分短縮している。もしかしたら、もしかしたら、後半の頑張り次第では4時間以内のゴールも夢ではない。そんなことをつらつら頭に巡らしながら、花の銀座4丁目を左折。すごい人だ。昨年よりかなり多い。
もうすぐスペシャルドリンクのポイント。でも見つけられるだろうか、ちょっと心配になってきた。(次へ続く)

2011年11月2日水曜日

東京マラソンドキュメント⑥

■東京マラソン07 【第6章 走り通した 42.195】

歌舞伎座、築地、新富町を過ぎ、佃大橋が見えてきた。ここからがきつい。橋越えのアップダウンが4、5回あるはずだ。ホノルルだったら急に弱気になって歩き出す。でも、今日は違う、と自分に言い聞かせる。

ゆっくりでもいい。とにかく走り続けよう。今日は気持ちが勝っている。

沿道から、「景色を楽しんでー」と声が掛かった。確かに周りをみると景色が素晴らしい。しかし余裕がないから楽しめない。幾つ目かの橋越えで吉田さんの笑顔を発見。なぜか吉田さんの顔が最初に飛び込んでくる。元気だよ、という格好だけを気にして、またもや無言。結局お礼が言えないままの失礼ランナー。

その応援ポイントを過ぎた頃から明らかにスピードが落ちてきた。橋越えのダメージが大きいのだろう。よし、ここはアイポッドだ。拓郎とビートルズに応援してもらおう。かじかんだ指先でセッティングし、イヤホンをつける。運よく1曲目から拓郎だった。ボリューム一杯にして気持ちを高ぶらせる。

豊洲まで来た。これなら行ける、自信と確信。しかし、油断するなよ。どこでがっくりくるかわからんぞ。・・・・・・、若松さんのマンションはこの辺だった。この辺で若松さんの再登場のはずだが、と思いつつ東雲を右折。沿道の人たちを見ながら走っているといたっ!「もう少しだ」という声援に、大きな声で「ありがとう」と叫んだ。やっとお礼が言えた。よし、あとkだ。

ビッグサイトが見えてきた。しかし、最後のこの上りはきついなー。下を向いて、先は見ない。1歩1歩進もう。絶対止まらないぞー!
ようやく上りきって、ゴールまでの直線に入った。ホノルルとは違って短い。勢いをつけ、ラストスパートだ。思わず歓喜で顔がゆがむ。

最後は帽子をとってスピードアップ。そしてゴール。
やりました。自己ベストです。10年ぶりの更新です。ネットで4時間22分。このタイム、自分でも驚きだ。嬉しい。雨の中、寒い中、走って良かった。応援のみんな、有難う。応援と寒さのお陰です。
応援のみんなの前では絶対歩けない、こんなに寒いと歩けない、歩くと身体が冷えてしまう。これが勝因のひとつであるのは間違いない。(東京マラソン07完、次は08へ続く)
新幹線効果で訪れる人が20%アップの熊本城
武者返しの石垣、勇壮な天守閣、気高さを感じる