2011年10月31日月曜日

東京マラソンドキュメント⑤


マラソン情報が飛交う毎日です。
昨日の大阪ではK君がみごとに完走。サブフォーは達成できなかったようですが、まずまずのタイムで完走。おめでとう!
そして3日は湘南です。ジョギング仲間の数人が出走します。横断幕、あるいは幟の製作が間に合えば応援に行く積りでしたが、いまだ製作に着手できておらず…。
そして13日の6時間耐久駅伝の実施要項が昨日届いていました。まー、これは気楽なお祭りです。打ち上げのお酒が楽しみです。
そんなこんなで、マラソン気分上昇中。

10/29熊本城、復元された本殿 165畳の大広間
■東京マラソン07 【第5章 銀座、浅草を走る】

いよいよ銀座、銀座を走れるぞー。
4丁目を左折するときには感動すら覚えた。
丁度そのとき道路右手の方から「有森だー」という声。7,8人のグループの中に確かに有森がいた。頑張れ、思わず心の中で声援を送る。

23k地点、銀座1丁目みずほ前。
妻からスペシャルドリンクをもらい、代わりに脱いだウィンドブレーカーを渡す。スペシャルドリンクで気分転換。蜂蜜入りレモン水は効く、予想以上に。その後、1kも行かない地点で、想定外の娘2人の応援に遭遇。50m伴走し何度かシャッター。なんと優しい娘たち。父親の顔を見てみたい。きっと立派な人物なのだろう。冗談はさておき、順調に日本橋を右折し25kを過ぎた。この調子なら30kまでは走れるぞ。30kまで走れれば5時間は十分切れる。自信を感じた。

SWSの仲間はどこだ、蔵前にいる約束だったが・・・。浅草橋を過ぎたあたりから気になってきた。もうそろそろ、もうそろそろ。沿道の人たちの顔を見ながら走っていると、27k地点で道路に大きく顔を出している吉田さん発見。あっ、いたっ! するとその3mぐらい手前にモトイがスペシャルエレルギーをもっている。思わず代金代わりに濡れたタオルを渡す。吉田さん、関さん、真子さん、有難う。通りすぎた瞬間、お礼を言うのを忘れた、と思った。今度のポイントでは必ず伝えよう。みんな寒そうだった。

雷門が見えた瞬間、「アサクサダー」と小さい声で叫んだ。やはりこのコースは感動がある。走っていて嬉しくなる。神谷バーを左に見て折り返し。そしてSWS回目の応援ポイント。嬉しい。やっぱり彼等はいい仲間だ。でもこれは歩きじゃない、マラソンだ、なんて馬鹿なことを頭に思い浮かべながら、みんなの前で元気に手を挙げる。声が出ない、またもやお礼を言えないまま走り過ぎた。

30k、足に痛みを感じ始める。いよいよきたかー。でも、でも、今日は違うぞー、と自分に言い聞かせる。ペースを落としてでも何とか走り続けよう。スペシャルドリンクとスペシャルエネルギーを口に運びながら気分転換。銀座1丁目の手前で、再び娘2人の応援を受ける。またもや伴走、そしてシャッター。同じポーズしかとれない、ワンパターン。丁目が近くなってくるとまた一段と応援の人垣が重なっている。清々しい気持ちで4丁目を左折した。これはいつもと違う、再び元気だ。(次へ続く)

2011年10月27日木曜日

東京マラソンドキュメント④

■東京マラソン07 【第4章 箱根路を経てハーフポイントへ】

早く温まりたい、という気持ちから、ややハイペースで走る。気が逸る。
しかし、前が詰まって、思う通りのコースをとれない。でもこんなのはホノルルで慣れっこなので、まずは流れに身をまかせる。
歌舞伎町あたりからようやく走りやすくなってきた。前のスペースも空いてきた。よし、これなら行けるぞ。曙橋を過ぎる。そして防衛省前。もうすぐ市ヶ谷。ジョナサンの前で妻が応援しているはず。約束通り、道路左側にコース取り。しかしジョナサン前に……いない。応援場所を右に変えたのか。しかし今から後ろを確認してもできるはずがない。

東北がんばれ、がんばれ日本
あっという間に飯田橋の右折。
雨が小降りになってきたので、ポンチョを引き破り、道路脇にいた係の人に手渡した。結構いい気分で走れている。

竹橋。見慣れた皇居。気分も落ち着く。日比谷公園が近くなってきた地点で10kコースと分岐した。そして日比谷の交差点を右折するときにはトップランナーとすれ違った。予想通りのことではあるが、彼らの速さに驚く。ここから品川までの折返しが、車で試走したとき結構遠く感じた。それを思い出しながら、慎重に走ろうと自分に言い聞かせる。

増上寺を過ぎる。品川までは箱根駅伝と同じコースだ。ちょっと感動しながら足を運ぶ。13k地点ぐらいでふと反対車線の折返しランナーをみると、時々皇居で見かける女性を発見。この人は1昨年の東京国際女子マラソンに出場し、3時間30分もかからないでゴールしていた。ということは、ここで2~30分ぐらいの遅れか、などと計算してみる。
15kまで来た。ほぼイーブンペースだ。全く疲れを感じない。そして折返し。観客が多い。折返しはカメラポイントだったので、ウィンドブレーカーの前を開いてゼッケンが見えるようにした。
芝のあたりで、ここまでずっと我慢していた小用を、道路脇の公園で済ませる。エチケット違反です、済みません。お陰で気分転換できました。さー、銀座に向かうぞ。てっぺんが雲か霧に隠れた東京タワーを左に見ながら北上、北上。

日比谷の交差点を右折。もうそこには中間点の電光時計が見える。うむ、ほぼ予定通りのタイム。ネットで2時間5分足らずだ。行けるかも、と期待感がうまれる。そのとき左後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。こんな所で大きな声で叫んでいるのは誰だろう。どうも自分を呼んでいるぞー。振り返ると、なんと若松さん。思わずガッツポーズ。元気が出た。市ヶ谷で家族が応援しているはずだったのに、あまりのランナーの多さと予定の応援ポイントから移動していた??とかで、結局、若松さんが最初の激励コールになった。(次へ続く)

2011年10月26日水曜日

東京マラソンドキュメント③

昨日からトレーニング再開。
と言っても出勤前のスクワット100回?から、です。
諏訪湖では走り終わって太ももに筋肉痛が出ました。ハーフでこんな状況になるのは5、6年前からでしょうか。フルの場合、太ももにダメージがくると足が上がらなくなり、走ってもストライドが短く、前に進みません。果ては歩きになってしまいます。それで何度も反省しています。

高山植物 越後湯沢/1000mの高地にて

■東京マラソン07【第3章 スタート】

6時過ぎに起きる。
すぐに携帯で天気予報チェック。
昨日の予報と変わらず9時には雨が上がるようだ。しかし、今は結構降っている。サイトを開いて公式な実施告知を確認。もう、いろいろ考えず走ることを決断するしかない。よし、気合だ。

朝食はホノルルの反省を生かして控え目に。ご飯1杯、厚焼き卵、バナナ半分。
寒さと雨対策のために、防水加工済みのランシャツを、長袖と半袖を重ね着。その上にウィンドブレーカー。下はロングスパッツの上にランパン。もちろんその下にはいつものテーピングを施した。帽子は昨日エントリー会場の東京ドームで買った赤。これが目立つそうだ。

7時40分、結局荷物は預けることにしたので、1人で家を出た。雨は思ったより強い。都営新宿線に乗ると同じ車両に同好の士が数人。何だかウキウキする。新宿の改札口を出ると、もうそこはランナーの更衣所に様変わり。そこから都庁までの地下通路は無数のランナーで混雑しており、真っ直ぐに歩けない。みんな静かに着替えやマッサージなどをしている。

妙な緊張感。ちょっとした隙間を見つけて素早く着替えを済ませ、荷物預けのトラックを探す。しかし、簡単に前に進めない。トイレ待ちの行列と荷物預けに進む人がぶつかって、人の動きが滅茶苦茶だ。おまけにトラックまでの数10メートルは大雨の中を歩くしかない。
立体交差の下で、1周30メートルぐらいのサークルを約50人のランナーがグルグル回っている。ウォーミングアップなのか。見ていて気持ち悪い。まるで蟻の行列だ。ようやく荷物を預け、そこでもらったメトロのポンチョを被り、雨に濡れるがまま、スタートエリアに向かった。

すでに何百人という人、人、人がエリアに集合している。指定のエリア(Iゾーン)に入り、少しでも前へ前へと進む。スタートはできるだけ前にいるほうが、走りがスムースという経験からの知恵。8時35分。スタートの9時10分まで30分以上ある。

予想以上に雨が強い。段々寒さを感じてくる。その場で軽くストレッチ、脚上げ、その場跳び、いろいろやってみる。しかし、身体が温まるわけではない。時計が進むのが遅いのはなぜだ。周りでもぶつぶつ言っている。時計を何度見ても大して過ぎていない。すでに靴の中に雨が染み込んでいるのが分かる。寒い。跳ぶ。寒い。手がかじかんでくる。寒い。

ようやく9時10分。号砲。音は聞こえないがスクリーンの慎太郎の動きで理解する。待ちに待ったスタートだ。しかし、動かない。……、ちょっと動く。そしてすぐ止まる。そんなことの繰り返し。スタートラインに辿り着いたのは号砲から10分後だった。スターター席に慎太郎、反対側のスタンドには雨に濡れながら歌ってくれた合唱団。その間を通過して、ようやく、ようやくスタートした。(次へ続く)

2011年10月24日月曜日

東京マラソンドキュメント②

2年ぶりの大会、諏訪湖のハーフ。
曇り、気温やや高めというまずまずのコンディションでした。
会場へ歩いて行く途中、チップを忘れたことに気づき、慌てて引き返すアクシデントもありましたが、30分前には会場到着。整列には余裕で間に合いました。

走りだしの5kは意識して抑え、その後少しずつペースを上げるという作戦。しかし、抑えたペースから上げていくというのは結構難しく、結局ずるずるとそのままのペースを維持するのがやっと・・・。
さらに15k過ぎからは急激なペースダウンにはまり、密かに設定していた目標タイムはその段階で諦めざるをえません。それでも何度も何度も気合を入れなおしゴールを目指す・・・。
結果は前回より4分、ベストより11分遅い、きわめて平々凡々なタイム。トレーニング不足です。

成果は左膝靭帯痛の対処法に確信がもてたこと、右足甲の違和感が出なかったこと。

東京マラソンドキュメント①のトレーニングと比較すると、60%の月間走距離しかできていない現状。今回の結果は致し方ない事実として受け止めるしかありません。12月のフルに向けてスイッチの切替えをします。

富岡製紙場前にある民家。長ーい(50m以上?)瓦屋根の
  中央は崩壊してはいるものの両サイドは居住者あり

  東京マラソン07【第2章 前日】

エントリー手続きに東京ドームへ行く。
アリーナエリアにゼッケン配布、オフィシャルグッズ販売、スポーツ各社の販売、といったブースが並び、多勢のランナーでごった返している。とくに各社の販売エリアでは商品を求める人が殺到し、真っ直ぐには歩けないほどだ。そんな中、明日の目印として決めた赤い帽子を探す。マラソン大会は本番も興奮するが、前日のエントリー手続きもそれなりの緊張感があってなんともいえない。

夕方から雨が降り明日の午前には上がるという予報だが、スタート時には上がってほしい。

テーピングのための太ももから脛までの除毛も完璧。ウェアの防水スプレーもできた。あとは天気のみだ。(次へ続く)

2011年10月21日金曜日

東京マラソンドキュメント①

ワタスゲ湿原を歩く後輩諸氏10/6-8
昨日の讀賣夕刊には驚きました。
すべての広告スペースが真っ白、まさか印刷もれかと思うような。白いスペースは各ページにあり、15段1ページ、全10段・7段・5段、すべて真っ白のスペースに、コピーがたった1行。たとえばトップぺージには全2段の真ん中に、「東日本大震災の直後、広告が消えた新聞をおぼえていますか。」の27文字だけ。別のページには「医師も薬も、足りない日々。眠れない夜だけが、人々に訪れていました。」と。

度肝を抜く、震災復興支援の広告のあり方です。読者と競合をあっと言わせる、訴求力抜群のこれぞ新聞広告。

先日、東京マラソンの落選通知がきました。その日から数日はジョギング仲間の残念メールが入り乱れていました。たった一人だけ、仲間の夫が当選したようです。それにしても全員総崩れとは、狙われてるのでしょうか。個人的には1回目、2回目は連続当選し、まわりに羨ましがられたものですが、その後は反動のように落選続きです。いっそ湘南マラソンのように先着順にしてくれれば、自己責任ですっきりすると思いますが…。

気を取り直して、07年の1回目、08年の2回目の東京マラソンドキュメントを数回に分けて掲載することにします。


■東京マラソン07【第1章 トレーニング】

本番6日前(2月12日)、
ホノルルの終了からしばらく休みを取り、トレーニングを再開したのが12月29日。それから今日まで丁度250k走った。これまでとは全く違う走り方だ。総距離だけでなく、1回当たりの距離が15キロと安定してきたのが、今回の成果といえる。携帯に残した日々のトレーニングメモ・・・。
1229日:1周から再開。お腹が重たい。
1230日:2周。わりと気持ちよく。
1231日:昨日のトレーニングのせいで筋肉痛。スロージョグで2周。
11日:走り初め1周。朝からの酒でやや重たい。
12日:右膝に違和感、歩きのみ4キロ。
13日:箱根応援と硫黄島映画でジョグ休止。
14日:筋肉痛もなく快調に3周。
16日:ブセナホテルのランニングマシンで6キロ。
17日:ブセナから90分走。走りは快調だが、走った後左足首に違和感。
18日:左足首に違和感あり、スロージョグで50分。
113日:足の痛みも取れ気分良く2周
114日:山田氏と合トレ。3周を28分イーブン。最後にスロージョグ1周。
120日:快調に3周。29分、28分45秒、27分30秒とペースアップ。
121日:筋肉痛を感じつつようやく3周。29分10秒、29分30秒、28分50秒。
126日:帰宅後軽く2周。
127日:コンディションイマイチなので、ジョグで3周。久々に谷川真理と遭遇。かなり早い。
128日:超スロージョグで1周を3回、疲れがたまっているのか。
130日:左太ももに疲れが残っている。スロージョグで2周。
23日:歯医者の長時間治療のせいで背中が痛い。なんとか我慢して4周。
24日:背中の痛みはとれた。超スロージョグで3周。
210日:スロージョグで3周。今日は暑いくらい。
211日:乗りが悪く1周のみ。
212日:最終のトレーニングとしてスロージョグ1周、261周
  (*1周は約5kのコースです。)

週間天気予報では曇り時々雨の予報。ウェアに悩みそうだ。雨だけは勘弁してほしい。(次へ続く)

2011年10月17日月曜日

プロメテウスの罠

ここにきて震災直後の事実が新聞等で掲載されてきました。
各紙によって視点や切り口が違い、なにを事実として伝えたいのか、記者の目と力量も推し量ることができます。

そんな中で、朝日の「プロメテウスの罠」は掲載開始から注目しています。原発周辺居住の人たちが最初に慌てて避難した先、その避難先も危険区域だからすぐにもっと遠くへ避難するよう声をかけたのは、2人の防護服を着た人だった。その2人は東電関係者でもなく、消防署や警察でもなく、行政関係者でもない。いまだにどこの誰だったか分からない、という驚くべき事実。そんな爆発直後からの、いくつもの知られざる事実が書き続けられています。

「えー、ただちに影響があるわけではありません」とか政府要人がTVで国民に語りかけていたころ、現地では驚くようなことが起こっていた。そんなことは薄々分かっていたものの、このように新聞記事としてディテールまで目にすると、改めて政府・東電の当事者に怒りというか空しさを感じざるをえません。

栂池からの白馬の雪渓、10/7~9 後輩S氏撮影


玄海原発再開問題に関連して九電、知事、第三者委員会、経産相(ただちに影響があるわけではありませんと語っていた張本人)が絡んだバトルがメディアをにぎわせています。どれが真実なのか分かりませんが、仮に第三者委員会の報告書が正しいとするならば、ひとつの意思決定をするためによくもこれだけ真実を枉げて論理を組立てたものだと、あきれ返ってしまいます。見るべきは真実しかないと思うのですが。そして企業トップも政治家も、なぜこんなに往生際が悪いのでしょう。開いた口がふさがらないとはこのことです。


昨日のジョグは季節はずれの“大汗”でした。30度近い暑さだったとか。湿度も高くむしむし状態。ジョギング仲間の1人が参加したマラソン大会では、20数人が熱中症で収容されています。
私も今度の日曜は2年ぶりの出走です。給水はこまめにとって、「時間じゃなく完走」を目標にすることにします。

2011年10月11日火曜日

維新政府の大英断


中学の社会科で習った富国強兵・殖産興業。教科書には八幡製鐵所と富岡製糸場の写真が掲載されていたように記憶しています。以前から高速で近くを通るたびに見学に行きたいと気になっていたのが富岡製糸場です。ようやく連休3日目に訪れることができました。

キーストーンには明治5年、創業年が

1万6000坪の広大な敷地に長さ100mを超える(最長140m)建物数棟を含め多くの施設が現存し、明治5年の創業当時にタイムスリップします。ボランティアのご老人の元気なガイドで約50分、広い施設をめぐりながら富岡製糸場に関する知識を深めることができました。そして初めて知ったことがいくつかありました。





1つめ。フランス人によって工場建設の建白がなされ、建設と製糸技術導入もフランス人によるものであったこと。2つめ。日本で最初の官営製糸場であり、ここで技術習得した工女は地元に帰り、技術を普及するという仕組みであったこと。3つめ。敷地内に医療施設や教育施設があり、かつ労働時間も8時間強という工女にとって働きやすい環境にあったこと。そして最後に、昭和62年までの115年という長期にわたっての操業であったことです。
官営から途中、片倉工業という民営に移っています。片倉といえば諏訪湖の岡谷が発祥で、周辺の製糸場で働く女性のつらく悲しい物語が「あぁ野麦峠」として読み継がれています。女工哀史という言葉もその物語で生まれたものだと思います。富岡製糸場にはガイドで耳にする限り、医療施設や教育施設を見る限り、そのような“哀史”を垣間見ることはできませんでした。…果たしてなにが違ったのでしょう。

柱がない構造に工夫された天井

世界遺産暫定リストに記載されて以来、それまで来訪者数が多くても100人ほどだったのが、1000人を超える日もあるということです。その日も10~11時で、小学生の社会科見学とリタイア組の皆さんで200人は超えていたかもしれません。


日本の近代産業がここから始まった、そして第二次世界大戦の頃まで製糸業を日本の輸出産業の柱に成長させ日本を支えてきた、…感慨深いものがあります。

2011年10月7日金曜日

体幹で走れ

もう2週間ぐらい前のことです。
日経新聞に大きなスペースをとって、ランニングに関する記事が掲載されていました。

ふくらはぎの筋肉は長距離走に効果的か? 

ジョギングしていると、ふくらはぎの筋肉が異常に盛り上がった人がたまにいます。蹴り上げが強くて早いに違いない、そんな感想を持っていました。しかし、そうじゃないということです。確かに中距離ぐらいまでは早く走れるだろうが長距離ではスピードが落ちる、そうです。

その理由は、ランニングフォームに無理があるからついた筋力だから、ということです。たとえば、前傾が大きいと膝から下の筋力で蹴り上げることになります。その結果ふくらはぎに負担がかかり、本来はランナーには不要な筋力がつくことになります。


越後湯沢の高山植物
正しいランニングフォームは体幹を意識した走りにあるということです。左右の肩甲骨を寄せ、腕を肩から前後に回転させ、腰を前に突き出し太ももを持ち上げる。股関節の運動範囲が広がる状態にしておくのも重要だということです。そう言えば、片足立ちをして、上げた方の足を付け根を中心に回転させる、そんな準備運動をしている人を良く見かけます。これは股関節をリラックスさせて運動範囲を広げるためのものなのでしょう。

着地のしかたにも触れていました。踵からつま先へ、順に着地させるのがショックを和らげると今まで信じていましたが、どうもそうじゃないらしい。つま先から前半分ぐらいで着地するのがよろしいようです。どうでしょう・・・。着地に関しては今ひとつ、「?」です。サブスリーぐらいのランナーであれば自然とそうなるのでしょうが、ショックを和らげることを重視すべき“長時間ランナー”は、やはり踵からの方がお奨めじゃないのかなー。

砂浜や芝生の上を走ると、自然と体幹で走る感覚が身につくということでした。先日のゴルフは乗用カートなし、すべて歩きだったので体幹歩き?をやってみましたが、効果てきめん。太ももに疲れが残ってしまいました。これは別の情報ソースだったと思いますが、ウォーミングアップよりもクールダウンを丁寧にやろうということです。運動でたまった乳酸を排出するのがねらいだとか。


昨晩いつものコースを走っていたら、倒木、落枝などの台風の爪あとはすっかりなくなっていました。関係者の皆さんに感謝いたします。

2011年10月2日日曜日

久々にスルーで3周

昨日から秋。
急に季節が変わりました。

ワンちゃんはちわわのココちゃん
倒木のそばをランナーが

白い花は彼岸花
引き裂かれた白い肌の幹
 台風で根こそぎ倒れた木は根っこしか残ってないものの、どれだけ風が強かったのかを証明しています。引き裂かれて落ちた枝は彼岸花に覆いかぶさっています。道路の脇にはたくさんの小枝が山積みになっています。だれが、いつ、こんな状態を元に戻してくれるのでしょう。一時宮内庁に奉職していた後輩によると、お濠や土手の清掃・整備は環境省管轄だとか。この夏、いつもに増してお濠の藻?が繁殖して、一面汚い茶色に変色していました。雨や強い風のあとにはゴミのようなものが藻の上にのっかっており、直視できないくらいです。これでは世界遺産登録は到底無理。そんな計画があるとは聞いたこともありませんが…。

富士山が世界遺産登録にまた挑戦するようですが、これまでできなかったのはゴミが多いというのが理由だったようです。これも環境省でしょうか。お濠にしても富士山にしても、ゴミをなくそうと努力しているのはボランティアのようです。通勤途中そのような人を見かけると、ほっとします。


気候が秋になり、ジョギングには最高のシーズンです。昨日は2時間走を目指してスタートしましたが、ランパンの○○ズレにより90分で中止。みみずばれ。しかし久々のスルー3周でした。ハーフの大会まであと3週間です。調子も徐々に上がってきました。

そして気持ちの余裕が出てきたらゴミゼロ活動に参加したいと思います。