2013年4月29日月曜日
遺作
50を過ぎたばかりで逝った…。
彼女が遺した作品が先日出版されました。
前職で縁があった人ですが、退職後絵本作家として実績をつくり、最後に遺した作品が本書です。
帯にはこう記されています。
「やまたのおろち神話」「天岩戸伝説」に隠された真相。
見過ごされてきた謎をつなぎ、浮き彫りになるスサノオの犯罪。隠蔽された事件は、権力者にとって「不都合な歴史」だった。オオクニヌシやスサノオとは、何者か。スリリングな推理、誰も予想し得なかった結論。・・・・
冒頭の「はじめに」を読んだばかりですが、わくわくしながら読み進められそうな予感。
10年の歳月を要して書き上げた作品です。
故人に敬意を表しながら一文一文をじっくり味わいたいと思います。
2013年4月20日土曜日
大内宿へ
三春の滝桜を堪能したあと、磐越道を西へ、西へ。
途中、雪が山裾まで残る磐梯山を眺め、さらに西へ。
その先には新潟の山々が真っ白な姿を見せてきました。
会津若松で降りて、次は南下。
山里の街道を走って、本日泊まりの芦ノ牧温泉にようやく到着。
翌日はさわやかな快晴。
向かうは大内宿。
会津と日光を結ぶ街道宿場の一つ。
街道として賑わったのは17世紀中ごろまで。新たに開通した街道、自然災害などの影響でその後は長い間存在を忘れられていました。大内宿もその間歴史にうもれていたわけです。
それが、明治、そして戦後、徐々に研究者の関心をよび、それをマスコミが扱い、そして少しずつ観光地化されてきた歴史があります。ただ、いったん舗装した道を土に戻すなど、住民の生活環境を近代化することと街道宿として当時の姿を遺すことに、地元の葛藤は何年も続いたということ。今の状態が構築されたのは近年のことです。
そして今では、「〇〇100選」などでは常に選出されており、奈良井、妻籠とならぶ景観保存宿として人気を集めています。
途中、雪が山裾まで残る磐梯山を眺め、さらに西へ。
その先には新潟の山々が真っ白な姿を見せてきました。
会津若松で降りて、次は南下。
山里の街道を走って、本日泊まりの芦ノ牧温泉にようやく到着。
翌日はさわやかな快晴。
向かうは大内宿。
会津と日光を結ぶ街道宿場の一つ。
街道として賑わったのは17世紀中ごろまで。新たに開通した街道、自然災害などの影響でその後は長い間存在を忘れられていました。大内宿もその間歴史にうもれていたわけです。
それが、明治、そして戦後、徐々に研究者の関心をよび、それをマスコミが扱い、そして少しずつ観光地化されてきた歴史があります。ただ、いったん舗装した道を土に戻すなど、住民の生活環境を近代化することと街道宿として当時の姿を遺すことに、地元の葛藤は何年も続いたということ。今の状態が構築されたのは近年のことです。
そして今では、「〇〇100選」などでは常に選出されており、奈良井、妻籠とならぶ景観保存宿として人気を集めています。
軒下にはいろんな産物がならんで観光客の足をとめていました。
なかでも色鮮やかだった草履と唐辛子。茶色が中心の家並みの中で大きなアクセントにもなっていました。
この街道を、戊辰のときは日光から官軍が北上してきたこと、なんだか夢のような信じられない史実です。
2013年4月17日水曜日
三春の滝桜
ライトアップがもうじき終わると知り、急きょ計画しました。
3.11後、「もう三春まで桜を見に来る人はいなくなる」と、地元の人がTVのインタビューに応えていたのを思い出します。
行きはあえて、常磐道を選択。
茨城北部から交通量が徐々に減ってきて、あの影響をいろいろ考えざるをえない心境に…。
いわきから磐越へ。
「三春の降り口が混雑」という情報が電光で示され、ちょっと嬉しい気分に。
降りてしばらくはスムースだったのに、あと4.5kという辺りから大渋滞。ほぼ歩く速度と同じか少し遅いくらい。出会った車で最北は札幌、最南は岡山ナンバーでした。ほぼ80%はジッチャン・バッチャン。見かけたツアーバスは100%そうでした。
途中ユーターンする車も数台ありましたが、辛抱強く目的地を目指すことにしました。
たった1本の桜を観に行くというのは初めてのこと。正直期待外れだったらはるばる来た甲斐がないな~、なんて気持ちもありました。
しかし、目の前にすると、ショックを受けるくらい驚きました。
樹齢千年、日本三大枝垂れ桜の一つ。その雄大な姿、名前のとおり滝のように落ちてくる花。しかも、観る角度によっていろんな表情を見せてくれる。これまで見たことのない景観でした。
昨年の状況は知りませんが、3.11で消えた観光客は完全に元に戻った印象を受けました。たまたま今朝のNHKニュースで現地からの中継もあり、動員に拍車がかかるかもしれません。そうなってほしいです。
3.11後、「もう三春まで桜を見に来る人はいなくなる」と、地元の人がTVのインタビューに応えていたのを思い出します。
行きはあえて、常磐道を選択。
茨城北部から交通量が徐々に減ってきて、あの影響をいろいろ考えざるをえない心境に…。
いわきから磐越へ。
「三春の降り口が混雑」という情報が電光で示され、ちょっと嬉しい気分に。
降りてしばらくはスムースだったのに、あと4.5kという辺りから大渋滞。ほぼ歩く速度と同じか少し遅いくらい。出会った車で最北は札幌、最南は岡山ナンバーでした。ほぼ80%はジッチャン・バッチャン。見かけたツアーバスは100%そうでした。
途中ユーターンする車も数台ありましたが、辛抱強く目的地を目指すことにしました。
たった1本の桜を観に行くというのは初めてのこと。正直期待外れだったらはるばる来た甲斐がないな~、なんて気持ちもありました。
しかし、目の前にすると、ショックを受けるくらい驚きました。
樹齢千年、日本三大枝垂れ桜の一つ。その雄大な姿、名前のとおり滝のように落ちてくる花。しかも、観る角度によっていろんな表情を見せてくれる。これまで見たことのない景観でした。
昨年の状況は知りませんが、3.11で消えた観光客は完全に元に戻った印象を受けました。たまたま今朝のNHKニュースで現地からの中継もあり、動員に拍車がかかるかもしれません。そうなってほしいです。
2013年4月14日日曜日
伊江島へ
先週の沖縄はめずらしく天候に恵まれました。
出発前日・当日の爆弾低気圧が過ぎ去ったばかりだからでしょうか。
浜辺の散策ものんびり楽しめました。
ホテルからビーチが近いというのは気持ちが落ち着きます。
今回のメインは伊江島行きです。
美(ちゅ)ら海水族館の向こうに浮かぶ島。
西部劇に出てくるような、男性の乳首のような、茶碗を伏せたような形が何ともいえず、いつか渡ってみたいと思い続けていました。
本部港からフェリーで30分。
アメリカ人らしきファミリーが何組か。おそらく軍関係者のファミリーなのでしょう。
休暇を利用してのピクニックのような雰囲気です。
到着後さっそく中央にそびえる城(ぐすく)山、標高172mに向かいました。
中腹までは車。そこから頂上まではコンクリートの階段、300段ありました。
頂上からは360度、東シナ海の広がりを望めます。田園は平たく、一枚一枚が大きいので北海道の風景を思いだします。なぜかさとうきび畑が見当たらないから余計に…。
あいにく、頂上には小さな虫がぶんぶん飛んでおり、ゆっくり休憩する気にもならず早々と下山。
途中すれ違ったアメリカ人女性グループに、「階段が急だから気をつけて」と声をかけられ、慎重に慎重に足を運びました。
その後、いくつかの観光スポット、戦跡をめぐり、帰路へ。
伊江島はあの戦争のときに、沖縄本土上陸戦前に攻撃を受けたと記憶しています。
そのときの犠牲者、島民2800人、兵士700人。
周囲が22k ぐらいしかない島でこれだけ多くの犠牲者がでたというのは、「絶句」と書くしかありません。戦跡には島民が避難生活した、海岸に面する洞窟もありました。1000人が生活していたそうです。海の向こうには、すぐ近くに沖縄本島が見えます。当時の人たちはどんな気持ちでこの風景を眺めていたのか…。
出発前日・当日の爆弾低気圧が過ぎ去ったばかりだからでしょうか。
浜辺の散策ものんびり楽しめました。
ホテルからビーチが近いというのは気持ちが落ち着きます。
今回のメインは伊江島行きです。
美(ちゅ)ら海水族館の向こうに浮かぶ島。
西部劇に出てくるような、男性の乳首のような、茶碗を伏せたような形が何ともいえず、いつか渡ってみたいと思い続けていました。
本部港からフェリーで30分。
アメリカ人らしきファミリーが何組か。おそらく軍関係者のファミリーなのでしょう。
休暇を利用してのピクニックのような雰囲気です。
到着後さっそく中央にそびえる城(ぐすく)山、標高172mに向かいました。
中腹までは車。そこから頂上まではコンクリートの階段、300段ありました。
頂上からは360度、東シナ海の広がりを望めます。田園は平たく、一枚一枚が大きいので北海道の風景を思いだします。なぜかさとうきび畑が見当たらないから余計に…。
あいにく、頂上には小さな虫がぶんぶん飛んでおり、ゆっくり休憩する気にもならず早々と下山。
途中すれ違ったアメリカ人女性グループに、「階段が急だから気をつけて」と声をかけられ、慎重に慎重に足を運びました。
その後、いくつかの観光スポット、戦跡をめぐり、帰路へ。
伊江島はあの戦争のときに、沖縄本土上陸戦前に攻撃を受けたと記憶しています。
そのときの犠牲者、島民2800人、兵士700人。
周囲が22k ぐらいしかない島でこれだけ多くの犠牲者がでたというのは、「絶句」と書くしかありません。戦跡には島民が避難生活した、海岸に面する洞窟もありました。1000人が生活していたそうです。海の向こうには、すぐ近くに沖縄本島が見えます。当時の人たちはどんな気持ちでこの風景を眺めていたのか…。
2013年4月2日火曜日
古書店めぐり
昨日は免許更新、ついでに古書店めぐり。
無事故につきゴールド免許といわれると、何かほめられているような気がして少し嬉しくなります。
ただ、毎回の感想ですが、免許の写真はなぜいつも人相悪くなるんでしょう。
人には気軽に見せられません。
古書店めぐりでは、思わぬ収穫がありました。
一つ目は野上彌生子の「秀吉と利休」。S39年発行です。
S39といえば東京オリンピックの年、約50年前になります。(あー、もうそんなに…)。
先日の直木賞受賞作・安部龍太郎「等伯」を読んで、利休と秀吉の関係に関心を持っていたところでしたので、即判断。200円なり。
懐かしい箱入り単行本です。
前回の購入古書、ジェームズ・クラベル「将軍」(30年前発行)に続く大当たりです。
二つ目は井上ひさし「四千万歩の男」。伊能忠敬の足跡をたどったものです。
文庫本ですが5分冊で1冊がとても分厚い。
これも新刊で買おうかどうしようか書棚で見るたびに迷っていたものだけに、即判断。
1800円なり、かなり安く購入できました。
そのほか、佐々木譲「廃墟に乞う」、山本一力「損料屋喜八郎 始末控え」などを買い求め、カバンはずっしり。
新刊本ではジャレド・ダイアモンド他の「知の逆転」が直近の購入本です。
評判ほどのものではなく、やや期待はずれ。インタビューの組立て方やテーマの掘下げ方に物足りなさを感じます。紙数が限られた新書を選択したのがこういう結果を招いているようです。
無事故につきゴールド免許といわれると、何かほめられているような気がして少し嬉しくなります。
ただ、毎回の感想ですが、免許の写真はなぜいつも人相悪くなるんでしょう。
人には気軽に見せられません。
| ライトアップ直前、夕暮れの東京タワーと枝垂れ桜 |
古書店めぐりでは、思わぬ収穫がありました。
一つ目は野上彌生子の「秀吉と利休」。S39年発行です。
S39といえば東京オリンピックの年、約50年前になります。(あー、もうそんなに…)。
先日の直木賞受賞作・安部龍太郎「等伯」を読んで、利休と秀吉の関係に関心を持っていたところでしたので、即判断。200円なり。
懐かしい箱入り単行本です。
前回の購入古書、ジェームズ・クラベル「将軍」(30年前発行)に続く大当たりです。
二つ目は井上ひさし「四千万歩の男」。伊能忠敬の足跡をたどったものです。
文庫本ですが5分冊で1冊がとても分厚い。
これも新刊で買おうかどうしようか書棚で見るたびに迷っていたものだけに、即判断。
1800円なり、かなり安く購入できました。
そのほか、佐々木譲「廃墟に乞う」、山本一力「損料屋喜八郎 始末控え」などを買い求め、カバンはずっしり。
新刊本ではジャレド・ダイアモンド他の「知の逆転」が直近の購入本です。
評判ほどのものではなく、やや期待はずれ。インタビューの組立て方やテーマの掘下げ方に物足りなさを感じます。紙数が限られた新書を選択したのがこういう結果を招いているようです。
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