2011年12月30日金曜日

フランスからのメッセージ

フランス在住の仲間からちょっと早めの年賀状。
23日の消印ですが3日後には届きました。
語学学校で日本語教師を始めたとか。仕事への情熱は誰にも負けない人なので、自分なりの工夫をいろいろとこらして熱心な指導に没頭していることだと思います。教えてもらう生徒さんは幸せです。きっと習得も早いことでしょう。

最後のコメント「日本はもう大丈夫ですか?」 自信をもってお応えします。「大丈夫ですよ」と。しかし、「収束」したわけではありません。「収束」とは課題が解決したときに使う言葉であるはずなのに、何を勘違いしたのか、事故対応の進捗が予定通りであることを「収束」と言ってのける非常識。あまりの自己都合重視の政府発言に「またかよ」とあきれるばかりです。「収束」宣言直後には、被災地・福島、海外専門家、国内専門家などから反論噴出。当然のことです。



銀座を歩くと外国人旅行者は3.11以前の状態に戻っています。日本人じゃない日本人のような人が何人も目に入ります。久しぶりのデパートでは中国人を顧客として意識したアナウンス、案内表示の多さにびっくり。顧客ターゲットは、日本? 中国? 欧米? アジア? 
中国では食生活向上?の影響で、糖尿病患者が2億人を超えたという記事もありました。規模が圧倒的に違います。やはり主役は中国になっていくのでしょうか。上海からの来客者からの情報によると、大陸と島の間を埋め立てて90万都市をつくる計画が進んでいるとか。日本では想像もできません。ゼネコンにとっては大ビジネスチャンスですが。

2011年12月24日土曜日

年賀状



今年も年の瀬を迎えました。

つらいこと、やりきれないこと、元気をもらったこと、つながりの大切さを感じたこと。数えきれないくらいいろんなことがありました。そして今、いつもと同じように年の瀬を迎えています。

天皇誕生日は年賀状を準備するのが恒例になっています。いつもなら、いくつかのアイディアが浮かんで、写真と新年のメッセージを組み合わせる。そのパターンでそれほど悩むこともありません。しかし、今年はどうしたらいいものか、なかなかまとまりません。

おととい、学生時代の仲間数人と飲んだとき、宮城出身の女性が「年賀状になに書こうかしら…」と言ってました。まったく同感です。たった30秒程度のやりとりでしたが、「新年おめでとう、はないよねー」というのが2人の結論です。


先日のフルマラソンの写真ファイルが送られてきました。
今回はなぜかメイン被写体となった写真が多いようです。その中に、左太ももから臀部にかけて痛みが走り、左足を引きずる走りになった証拠写真もしっかりありました。つらいけれども、とにかくゴールに向かうしかない。あのときの状態を思い出して、次への意欲を新たにしています。

この写真をモチーフにするのがいいかなー。そんなヒントを得ました。気持ちを素直に伝える年賀状、そんなコンセプトで。

時間は明日しかありません。

2011年12月12日月曜日

BORO BORO の速報

ホテルのガーデンから望む日没
今日はマラソン本番。
さっき終わって、汗臭いウェアを洗濯し、疲れきった全身をお湯につけて癒したあと、缶ビールを飲みながら書いているところです。

さてなにがBORO BOROだったのか。昨日からスコールがシャワーというより本降りに近い状況になり、今日は気温が下がりました。そして曇天。マラソンには最高のコンディション。強いてあげれば風が強いことがマイナス要因でしょうか。こちらで経験したことがないくらいの強さですが、向かい風もあれば追い風もあるわけなので贅沢は言っておれません。

左ひざはファイテンのシール、その上にモーラス、そしてテーピング。さらに最近購入したバンテリンのサポータを使用。これ以上ないような防護策です。そして、何度か痛い目にあった摩擦が生じる箇所へのワセリン。十分過ぎるくらいに塗り、これも万全です。

スタートからペースがゆったり気味だったので、できるだけ長く走り切り5時間を切る、というレベルの低い目標にしましたが、…。結局27kでストップ。そこから先は歩きの方が長くなってしまいました。その原因は、左の腰骨が痛み出したこと。結局その状態がゴールするまで続き、というか段々と痛みが増してきて、引きずりながら歩く(気持ちは走る)結果に。今までにないことです。心配していた左膝や太ももに全く痛みは出ず、予想外の展開に悩まされました。左ひざの防護策がいろんなバランスを崩したのか。

BORO BORO の左足をずりずりさせながら状態なので、残り3kからはほとんどのランナーが追い抜いて行きます。なんとみじめなこと。燃え尽きたとはまったく言えない、ただBORO BORO になったマラソンでした。当然ながらタイムも昨年にプラス11分という、これまたBORO BORO の結果。

ただ、今年の成果はゴール実況アナウンスで私のフルネームが読み上げられたことです。初めての経験です。その時だけはガッツポーズで思わず反応していました。

2011年12月7日水曜日

マラソンの必須アイテム

神宮外苑の銀杏並木

iPod 壊れる。
前日まで使っていた iPod が、かばんから出すと完全に不能状態になっていました。
充電しようとセットしても状況は変わりません。
バッテリーが機能しないということなのでしょうか。

iPod はジョギング、マラソンには欠かせないアイテムです。購入したのは5年か6年前になるでしょうか。その後2回、何かのトラブルで商品交換をしたので、実質3代目。保証期間延長の権利を購入していたので、新たな出費はありませんでしたが。

私にとって iPod はジョギング、マラソン、通勤途中、遠距離ドライブには必需品です。

ということもあって、週末のフルマラソンに備えて、iPod を買いに行きました。
しかし、販売していません。あるのは iPod Nano iPod Touch の2種類。担当の人にどう違うの? と聞いてみると、Nano は音楽専用、Touch は電話ができないスマホ、という理解に落ち着きました。

若干迷った結果 Nano を購入。

驚いたのはモノの大きさは半分以下、容量は4倍、値段は半分以下。特に容量は以前の iPod が4GBだったのに対し16GB、5千曲ぐらいはOKかもしれません。技術の進歩、他社との競争、ユーザー数の激増、などの産物ということでしょう。

さて、あと数日でフル本番です。

11月はようやく本番前月らしく150k超の走距離を達成することができました。味スタ6耐駅伝もスピードトレーニングとして有効でした。ただ、不安なのは左膝。靭帯損傷と思われる爆弾を抱えての出場になります。15k走るとすぐに痛みがでる状態ですから、フルでどうなるか想像に難くありません。サポーター、テーピング、ファイテン、いろいろ対策は講じますが。まー、どうなることやら。

iPod  みたいに突然壊れることにはならないでしょう。

2011年11月28日月曜日

あるじなきもの

数日前の朝日「プロメテウスの罠」で扱われていた「無主物」。
はじめて目にする文言です。

二本松市のゴルフ場が、汚染されたゴルフコースの除染を東電に要求した際、東電側が主張した論拠がこの「無主物」でした。「無主物」とは、ただよう霧や海に泳ぐ魚のように所有者が特定できないもの。飛び散った放射性物質も「無主物」で、東電の所有物ではないという。飛んでいったもの、他人の土地にくっついたものに東電は責任を持つ必要はない。

出鱈目な主張です。結局、裁判ではゴルフ場の要求は取り下げられましたが、裁判所の判決理由に「無主物」の文言はなかったようです。

雨の知覧、武家屋敷
除染で解決する。
そんなことをまことしやかに当局者が語っていますが、果たしてそんなことができるのでしょうか。コストの問題もありますが、実際に可能な作業なのか信じられません。庭や公園、道路。幼稚園や学校。とくに子供が集まるスペースの除染を優先するとは思いますが、除染が後回しになったり、結局できなかったりという地域は想像以上に広いはず。そこに残っている放射性物質は風や雨で除染済みエリアに移動します。そしたらまた、そのエリアを除染するのでしょうか。何度も何度も。

もっと科学的な方法はないものなのでしょうか。政府・民間総力で、その手法の開発に人と金を集約して臨んでほしい…。


二本松のゴルフ場は例年プロの大会が催されていたようです。
しかし、こんな状況。
来場者数も減少し、いずれ閉鎖という流れになるのでしょうか。

2011年11月23日水曜日

あと20日!

あと20日。
フルマラソン出場まで残り20日となりました。
今日を入れてトレーニング可能な日数は5日しかありません。

今年は1月以降の月間走距離が100kを超えることがありません。こんな状態でフルが走れるはずはない。気合を入れなおし、先月のハーフ、今月の味スタ駅伝、この2つの大会を機に徐々に走り込みを強化。そしてようやく、11月の走距離がこの前の日曜日で100k突破。月間では150kのペースに上げることができました。

気合の入れなおしのもう一つ。それは横断幕の制作です。東京マラソン08で、佃大橋という最大の難関を前にして、佐藤さん手作りの横断幕「○ちゃん頑張れ」には、とても元気づけられました。それを思い出して、駅伝に間に合わせて制作したのが1m×3mの大横断幕です。
味の素スタジアムの観客席に大きく目立って


メインメッセージ「まだまだ行ける! 激走だー」、サブ「We Can Work It Out」。そしてみんなのサインスペースのセンターに“RUN WITH US”      「まだまだ行ける」は「歳をとっても」という言葉が前に隠れている、掛け言葉でもあります。(誰も気づいていなかった!) サブの We Can Work It Out」はビートルズの曲。ホノルルマラソンのスタート地点へと歩いているとき、現地の人から「You Can Work It Out !」と声をかけられたことがあり…。

今日は天気は上々、30k走にチャレンジ。→(追記)20kで終え、次に持越し。

2011年11月15日火曜日

秋晴れのもと、大駅伝大会

13日の日曜日は「味スタ6耐」でした。
チームで襷リレーを繰り返して1周2kのコースを6時間走り続ける、という競技です。


味の素スタジアム

味の素スタジアム(サッカー場)のグランドにリレーゾーンが設置され、そこで襷を受け取ると場外に出ます。近くの駐車場や空き地を抜けて、スタジアム周辺をぐるりとまわり、再度場内に戻ってくるコース。坂はスタジアムを出るときの上り、戻ってくるときの下りの2箇所しかありませんが、これが足にこたえる急坂。

走り始めると2kなんてあっという間なんですが、まわりに刺激されていつもより無理をするので、戻ってきたときにはみんなクタクタ。チームによって走り方は違いますが、1周ずつ交代しているチームはスピードがすごい。


そんな中、ソロ(1人)で参加している人もいました。そしてソロの優勝者はなんと76kを1人で走り続けた! 2kしかないコースを1人で38周。目がまわりそうです。ちなみに私のチームは4人で34周だったとか。全チームの丁度真ん中ぐらいの順位です。比較的若い、30代中心のチーム編成がボリュームゾーンのような印象だったので、満足のいく結果を残せました。

10時にスタートして16時の終了まで、待機時間が長いのでどうやって時間を潰すか、そんな心配はまったく不要でした。リレーゾーンで応援したり、写真をとったり、ストレッチをしたり、そして昼食をとったり。楽しい、充実した1日でした。



2チーム一緒に横断幕を背に
横断幕(1m×3m)は私手作りです
 

打上げの飲み会では、5月ごろハーフマラソン大会にみんなで出場することを約束。平均年齢〇歳の元気な仲間です。

2011年11月12日土曜日

東京マラソンドキュメント⑨

■東京マラソン08 【最終章 自己ベスト更新へ】

佃大橋への直線に入った。商工会議所の仲間が応援体制に入っているはずだ。
目に飛び込んできたのは「●ちゃん頑張れ」の横断幕。次に顔が大きい高野さんの笑顔。娘2人も合流してカメラを構えていた。周りを見ると佐藤さん、川村さん、横田さん。帽子をとってみんなの声援に応える。嬉しい。元気が出た。
しかし、佃大橋の上りは固まった両足にずしんと応えた。去年はこんなことはなかった。冷えてきたからか。風が出てきたから。海に近いから。ロングスパッツが正解だったか。そしてSWS最後の応援ポイント。10人以上の仲間が激励の言葉を叫んでくれた。素晴らしい仲間たち。有難う。両足を引きずる格好で、みんなに笑顔で応えた。

さー、あと6kだ。この後応援はない。iPodを取り出す。前日編集した「元気が出るプレイリスト」を聴きながら、上がらない足をずりずりと前へ、前へ。豊洲の直線が異常に長い。そしてようやく東雲を右折。

35-40kは33分30秒。昨年より1分30秒早い、これでも…。顔をゆがめて、地を這うようにしてようやくここまで来た。太もも、膝の筋肉は紛れもなくしっかり固まっている。歩きよりちょっとだけ早いペースだ。
そしてついに、残り1k地点で立ち止まってしまった。その場でストレッチ、慎重にやってみた。とくにどこが痛いというわけでもない。筋肉が冷え切っただけなんだろう。

よし、泣いても笑っても最後の1kだ、走るぞー。気合を入れなおす。すると完全に身体が前半の調子に戻っていた。これならいける。まわりのランナーをどんどん抜いて、6分ペースでゴールに飛び込んだ。4時間12分22秒。10分短縮、自己ベスト更新。嬉しいような悔しいようなゴールタイムだった。サブフォーは次回のお楽しみだ。


ゴールしてからが大変だった。両足首に急に痛みを感じ、地べたに座り込んでしまった。まわりには同じように、意識が遠のいたようなランナーが座り込んでストレッチしている。達成感に満足している表情は見られない。なんとか立ち上がって靴を脱ごうとすると、左足が激しくつった。ひっくり返ってつま先を手繰り寄せ、応急処置を施す。こんな激しいつり方は初めてだ。

駅から家までの途中、余りにも両足太ももから下が痛く、身体も寒さでぶるぶる震え、歩けない。何度も立ち止まってやっとの思いで辿り着いた。(完)

2011年11月9日水曜日

東京マラソンドキュメント⑧

田原坂、戦死者墓碑 30年前はなかった

■東京マラソン08 (第2章 遠のくサブフォー)

スペシャルドリンクは昨年と同じ、蜂蜜入りレモン水。甘酸っぱいこのドリンクが後半の元気の元になるはずだ。

日本橋を過ぎ、25kに向かう茅場町あたりで道路の反対側から応援の声があがった。おー、またもや発見力抜群の若松さんが叫んでいる。そばにはSWSの仲間が数人。手を振って応えた。予定外のポイントでの応援に嬉しくなった。次は蔵前のはずだ。

20-25kは29分24秒。この5kは昨年より20秒しか早くない。ペースが落ちてきたのがはっきりわかる。膝の上下に少しずつ疲れを感じてきた。こういうときの走り方が難しい。無理せずじっくり行くしかない。最も心配していた腸脛靭帯炎の症状は出てこない。このまま行ってくれー。神頼みだ。

蔵前では予定のポイントで、応援企画プランナーのモトイさん初め、仲間の集団声援を受けた。「ありがとう」。声には出せず、手を振って感謝の気持ちを表す。

雷門の折返しコーナーは、ここもまた黒山の人だかり。四重、五重に応援の列が重なり合っている。もしかしたら商工会議所の仲間が応援に来ているかもしれない。左に寄ってみんなの顔を見ながら走る。厩橋まできたところで、「ペースが遅いぞー」という檄が飛んできた。鈴木さんだった。やっぱり来てくれたんだ。でも「ペースが遅い」と言われても、「一杯いっぱいだよー」。

戻りの蔵前では、行きで受け取れなかったウィダーインジェリーをモトイさんからもらった。すぐにふた口、流し込んだ。
膝の上下が寒さを感じ始めている。体温が下がっているのか、筋肉が固くなっているような、そんな不安が徐々に募ってきた。

25-30kは30分33秒。ついに30分を超えるラップになってしまった。去年より1分近く早いが、段々だんだんペースが落ちてきた。
顔の表情も余裕がなくなっているはずだ。こんなときは我慢、我慢しかない。
銀座でバナナをひと口分受け取り、口に入れる。でも元気が出ない。きつい。歌舞伎座を通過したことに気づかないほど、きつさが溜まってきている。辛抱、辛抱。

築地を左折。本願寺前で女性の声援を受けた。「ありがとう」手を振りながら大声で応えた。声が出たことにびっくりした。
30-35kは31分46秒。去年より2分早いが、もうジリ貧だ。サブフォーの夢は遠のいた。残念、無念、でもどうしようもない。(次へ続く)

2011年11月7日月曜日

雨は降るふーる

当時の道標でしょうか、ひっそりと佇んで

田原坂。
西南戦争は最後の内戦と言われていますが、その戦いで最も多くの犠牲者を出したのが田原坂です。17日間で4千名の戦死者という激戦につぐ激戦。なぜそれほど多くの犠牲者が出たのか…。

先月末に訪れた山鹿、田原坂、熊本城、鹿児島、知覧。
いずれも初めての地ではありませんが、30年ぶり?の田原坂は海音寺潮五郎の「田原坂」を読んだばかりということもあって、自身の視点も変わりあらためて史実の確認をすることができました。

みかん畑の向こう、戦場跡を臨んで
なぜ田原坂が戦略拠点として重要だったのか。
なぜ薩摩示現流が俄か兵士に負けたのか。
なぜ新政府は薩摩軍を徹底して叩いたのか。
そもそも西郷さんはどんな気持ちで鹿児島を出発したのか。

記念碑の近くに立つとすぐに雨が降り出すという、見事な演出。



雨はー降るふーる、人馬はーぬーれーる、越ーすーに越ーされぬ、たばるざーか。

西南戦争は一部、旧賊軍・会津と旧官軍・薩摩の戦い。会津が官軍として、賊軍となった薩摩に恨みをはらす戦いでもあったと言われていますが、一方では薩摩と薩摩の戦いという事実もあります。新政府としての薩摩と新政府から離反した薩摩、「大久保」と「西郷」の戦いです。そのため戦場では、近親者が、友人が、師弟が、敵味方に別れて殺しあう、壮絶この上ない戦いが繰り広げられたといいます。

西郷さんが戦死したあとたった半年で大久保さんも暗殺されています。鹿児島の観光バスでそのガイドを聞いたとき、とても不思議な気持ちになりました。

雨で桜島が見えない、残念な城山からの眺望でした。

2011年11月5日土曜日

東京マラソンドキュメント⑦

湘南マラソンでは仲間の見事な完走、好記録が達成されたようです。ついにサブフォーも出現。快挙です。

そして次は「味の素6時間耐久駅伝」、13日の開催です。チームで2kの周回コースをリレーしながら6時間走り続ける。一人が何周しても、何回リレーしてもよい、自由なルールです。私たちは4人のチームなのでノルマ目安は1時間半。残り4時間半は待機。どちらかと言うと4時間半の使い方が気になります。音楽を聴いたり、本を読んだり、いろんなことができるようにしておきたい。しかしそれだけでは、と横断幕制作を思いつきました。待機者が白地の横断幕に文字を書いていく。結構楽しいかもしれません。

東京マラソン08を今回から数回に分けてアップします。


生憎の雨にけむる二の丸入口、熊本城

東京マラソン08 (第1章 サブフォーも夢じゃない)

2月17日、晴れ、最高気温7度、微風。絶好のコンディションでスタートできそうだ。

スタートゾーンへの移動はすごい人の波を掻き分けて進むことになった。200mぐらいの短い距離を25分近くかけてようやくDゾーンに到着。気温は3、4度ぐらいで空気が冷たい。しかし風も雨もないので、ランナーはただただ静かにスタートの9時10分を待っている。昨年のように強い氷雨のなかで悲壮感を漂わせ、ぶるぶると小刻みに足踏みすることもない。

手短なセレモニーに続いて車椅子マラソンがスタートした。あちこちから歓声があがる。車椅子ランナーへの声援と、いよいよ次は自分たちの番だ、そんな気持ちで一杯なんだと思う。

スタートの号砲、なったはずだがここまでは聞こえない。誰も動かない。しばらくしてちょっとだけ前に進む。すぐに立ち止まり、また前に進む。そんなことを繰り返しながら、ようやくスタートゲートが見えるところまで来た。スターターの台上に都知事がいた。「慎太郎、有難う」と叫んでいるランナー。同感、同感。

ゲートを通過したのは、号砲がなってから6分近く経ってからだった。ストップウォッチのスタートボタンを押す。この瞬間、いつもわくわくする。気持ちが逸る。
最初の右折ポイントまでの300mぐらいで、普通に走れる流れになった。風がないから寒くない。短パンにしてよかった。

「最初の5kは抑えて、抑えて」
そう言い聞かせながらペースを模索する。走り出しのイメージは28分から28分30秒のペース。下り坂のせいでセーブしないと自然とペースが早くなる。給水ポイントはそのまま通過。飯田橋の5kポイント、28分07秒。まずは予定通りのペースだ。

この後は中間点を2時間以内で通過することを目安に、ペース配分していくことにする。

10k手前の二重橋前で、SWSの美奈子さん発見。でも向こうは気づいていない。声をかけようか迷ったが、そのまま通り過ぎる。他にも誰かいるだろう、そう思いながら左側の観衆を横目に見ながら走る。すると今年も最初の掛け声を若松さんより受けた。彼の「発見力」にはいつも驚いてしまう。転職してもいいんじゃないかー。でも、どんな仕事? そんなことをつらつら考えながら、日比谷の交差点を右折。ここから品川の折返しポイントまでは「箱根」と同じコースを走る。そう思うだけで感動する。
27分23秒で5-10kを通過。気持ちものってきた。

内幸町の手前でトップ集団とすれ違う。20人を超える大集団。さすがに速い。このあと彼等とは、もう出会うことはないだろう。

10-15kは27分51秒。
ミッキーとミニーに仮装したランナーがすぐ後ろにいたため、
「ミッキー頑張れ、ミッキー早いぞ」という歓声が後ろをついてくる。自分に元気が出るわけではないが、子どもの声援もあって気持ちが明るくなった。

中間点、1時間58分16秒。
目標にした「2時間以内」をクリア。そして昨年のタイムを6分短縮している。もしかしたら、もしかしたら、後半の頑張り次第では4時間以内のゴールも夢ではない。そんなことをつらつら頭に巡らしながら、花の銀座4丁目を左折。すごい人だ。昨年よりかなり多い。
もうすぐスペシャルドリンクのポイント。でも見つけられるだろうか、ちょっと心配になってきた。(次へ続く)

2011年11月2日水曜日

東京マラソンドキュメント⑥

■東京マラソン07 【第6章 走り通した 42.195】

歌舞伎座、築地、新富町を過ぎ、佃大橋が見えてきた。ここからがきつい。橋越えのアップダウンが4、5回あるはずだ。ホノルルだったら急に弱気になって歩き出す。でも、今日は違う、と自分に言い聞かせる。

ゆっくりでもいい。とにかく走り続けよう。今日は気持ちが勝っている。

沿道から、「景色を楽しんでー」と声が掛かった。確かに周りをみると景色が素晴らしい。しかし余裕がないから楽しめない。幾つ目かの橋越えで吉田さんの笑顔を発見。なぜか吉田さんの顔が最初に飛び込んでくる。元気だよ、という格好だけを気にして、またもや無言。結局お礼が言えないままの失礼ランナー。

その応援ポイントを過ぎた頃から明らかにスピードが落ちてきた。橋越えのダメージが大きいのだろう。よし、ここはアイポッドだ。拓郎とビートルズに応援してもらおう。かじかんだ指先でセッティングし、イヤホンをつける。運よく1曲目から拓郎だった。ボリューム一杯にして気持ちを高ぶらせる。

豊洲まで来た。これなら行ける、自信と確信。しかし、油断するなよ。どこでがっくりくるかわからんぞ。・・・・・・、若松さんのマンションはこの辺だった。この辺で若松さんの再登場のはずだが、と思いつつ東雲を右折。沿道の人たちを見ながら走っているといたっ!「もう少しだ」という声援に、大きな声で「ありがとう」と叫んだ。やっとお礼が言えた。よし、あとkだ。

ビッグサイトが見えてきた。しかし、最後のこの上りはきついなー。下を向いて、先は見ない。1歩1歩進もう。絶対止まらないぞー!
ようやく上りきって、ゴールまでの直線に入った。ホノルルとは違って短い。勢いをつけ、ラストスパートだ。思わず歓喜で顔がゆがむ。

最後は帽子をとってスピードアップ。そしてゴール。
やりました。自己ベストです。10年ぶりの更新です。ネットで4時間22分。このタイム、自分でも驚きだ。嬉しい。雨の中、寒い中、走って良かった。応援のみんな、有難う。応援と寒さのお陰です。
応援のみんなの前では絶対歩けない、こんなに寒いと歩けない、歩くと身体が冷えてしまう。これが勝因のひとつであるのは間違いない。(東京マラソン07完、次は08へ続く)
新幹線効果で訪れる人が20%アップの熊本城
武者返しの石垣、勇壮な天守閣、気高さを感じる

2011年10月31日月曜日

東京マラソンドキュメント⑤


マラソン情報が飛交う毎日です。
昨日の大阪ではK君がみごとに完走。サブフォーは達成できなかったようですが、まずまずのタイムで完走。おめでとう!
そして3日は湘南です。ジョギング仲間の数人が出走します。横断幕、あるいは幟の製作が間に合えば応援に行く積りでしたが、いまだ製作に着手できておらず…。
そして13日の6時間耐久駅伝の実施要項が昨日届いていました。まー、これは気楽なお祭りです。打ち上げのお酒が楽しみです。
そんなこんなで、マラソン気分上昇中。

10/29熊本城、復元された本殿 165畳の大広間
■東京マラソン07 【第5章 銀座、浅草を走る】

いよいよ銀座、銀座を走れるぞー。
4丁目を左折するときには感動すら覚えた。
丁度そのとき道路右手の方から「有森だー」という声。7,8人のグループの中に確かに有森がいた。頑張れ、思わず心の中で声援を送る。

23k地点、銀座1丁目みずほ前。
妻からスペシャルドリンクをもらい、代わりに脱いだウィンドブレーカーを渡す。スペシャルドリンクで気分転換。蜂蜜入りレモン水は効く、予想以上に。その後、1kも行かない地点で、想定外の娘2人の応援に遭遇。50m伴走し何度かシャッター。なんと優しい娘たち。父親の顔を見てみたい。きっと立派な人物なのだろう。冗談はさておき、順調に日本橋を右折し25kを過ぎた。この調子なら30kまでは走れるぞ。30kまで走れれば5時間は十分切れる。自信を感じた。

SWSの仲間はどこだ、蔵前にいる約束だったが・・・。浅草橋を過ぎたあたりから気になってきた。もうそろそろ、もうそろそろ。沿道の人たちの顔を見ながら走っていると、27k地点で道路に大きく顔を出している吉田さん発見。あっ、いたっ! するとその3mぐらい手前にモトイがスペシャルエレルギーをもっている。思わず代金代わりに濡れたタオルを渡す。吉田さん、関さん、真子さん、有難う。通りすぎた瞬間、お礼を言うのを忘れた、と思った。今度のポイントでは必ず伝えよう。みんな寒そうだった。

雷門が見えた瞬間、「アサクサダー」と小さい声で叫んだ。やはりこのコースは感動がある。走っていて嬉しくなる。神谷バーを左に見て折り返し。そしてSWS回目の応援ポイント。嬉しい。やっぱり彼等はいい仲間だ。でもこれは歩きじゃない、マラソンだ、なんて馬鹿なことを頭に思い浮かべながら、みんなの前で元気に手を挙げる。声が出ない、またもやお礼を言えないまま走り過ぎた。

30k、足に痛みを感じ始める。いよいよきたかー。でも、でも、今日は違うぞー、と自分に言い聞かせる。ペースを落としてでも何とか走り続けよう。スペシャルドリンクとスペシャルエネルギーを口に運びながら気分転換。銀座1丁目の手前で、再び娘2人の応援を受ける。またもや伴走、そしてシャッター。同じポーズしかとれない、ワンパターン。丁目が近くなってくるとまた一段と応援の人垣が重なっている。清々しい気持ちで4丁目を左折した。これはいつもと違う、再び元気だ。(次へ続く)

2011年10月27日木曜日

東京マラソンドキュメント④

■東京マラソン07 【第4章 箱根路を経てハーフポイントへ】

早く温まりたい、という気持ちから、ややハイペースで走る。気が逸る。
しかし、前が詰まって、思う通りのコースをとれない。でもこんなのはホノルルで慣れっこなので、まずは流れに身をまかせる。
歌舞伎町あたりからようやく走りやすくなってきた。前のスペースも空いてきた。よし、これなら行けるぞ。曙橋を過ぎる。そして防衛省前。もうすぐ市ヶ谷。ジョナサンの前で妻が応援しているはず。約束通り、道路左側にコース取り。しかしジョナサン前に……いない。応援場所を右に変えたのか。しかし今から後ろを確認してもできるはずがない。

東北がんばれ、がんばれ日本
あっという間に飯田橋の右折。
雨が小降りになってきたので、ポンチョを引き破り、道路脇にいた係の人に手渡した。結構いい気分で走れている。

竹橋。見慣れた皇居。気分も落ち着く。日比谷公園が近くなってきた地点で10kコースと分岐した。そして日比谷の交差点を右折するときにはトップランナーとすれ違った。予想通りのことではあるが、彼らの速さに驚く。ここから品川までの折返しが、車で試走したとき結構遠く感じた。それを思い出しながら、慎重に走ろうと自分に言い聞かせる。

増上寺を過ぎる。品川までは箱根駅伝と同じコースだ。ちょっと感動しながら足を運ぶ。13k地点ぐらいでふと反対車線の折返しランナーをみると、時々皇居で見かける女性を発見。この人は1昨年の東京国際女子マラソンに出場し、3時間30分もかからないでゴールしていた。ということは、ここで2~30分ぐらいの遅れか、などと計算してみる。
15kまで来た。ほぼイーブンペースだ。全く疲れを感じない。そして折返し。観客が多い。折返しはカメラポイントだったので、ウィンドブレーカーの前を開いてゼッケンが見えるようにした。
芝のあたりで、ここまでずっと我慢していた小用を、道路脇の公園で済ませる。エチケット違反です、済みません。お陰で気分転換できました。さー、銀座に向かうぞ。てっぺんが雲か霧に隠れた東京タワーを左に見ながら北上、北上。

日比谷の交差点を右折。もうそこには中間点の電光時計が見える。うむ、ほぼ予定通りのタイム。ネットで2時間5分足らずだ。行けるかも、と期待感がうまれる。そのとき左後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。こんな所で大きな声で叫んでいるのは誰だろう。どうも自分を呼んでいるぞー。振り返ると、なんと若松さん。思わずガッツポーズ。元気が出た。市ヶ谷で家族が応援しているはずだったのに、あまりのランナーの多さと予定の応援ポイントから移動していた??とかで、結局、若松さんが最初の激励コールになった。(次へ続く)

2011年10月26日水曜日

東京マラソンドキュメント③

昨日からトレーニング再開。
と言っても出勤前のスクワット100回?から、です。
諏訪湖では走り終わって太ももに筋肉痛が出ました。ハーフでこんな状況になるのは5、6年前からでしょうか。フルの場合、太ももにダメージがくると足が上がらなくなり、走ってもストライドが短く、前に進みません。果ては歩きになってしまいます。それで何度も反省しています。

高山植物 越後湯沢/1000mの高地にて

■東京マラソン07【第3章 スタート】

6時過ぎに起きる。
すぐに携帯で天気予報チェック。
昨日の予報と変わらず9時には雨が上がるようだ。しかし、今は結構降っている。サイトを開いて公式な実施告知を確認。もう、いろいろ考えず走ることを決断するしかない。よし、気合だ。

朝食はホノルルの反省を生かして控え目に。ご飯1杯、厚焼き卵、バナナ半分。
寒さと雨対策のために、防水加工済みのランシャツを、長袖と半袖を重ね着。その上にウィンドブレーカー。下はロングスパッツの上にランパン。もちろんその下にはいつものテーピングを施した。帽子は昨日エントリー会場の東京ドームで買った赤。これが目立つそうだ。

7時40分、結局荷物は預けることにしたので、1人で家を出た。雨は思ったより強い。都営新宿線に乗ると同じ車両に同好の士が数人。何だかウキウキする。新宿の改札口を出ると、もうそこはランナーの更衣所に様変わり。そこから都庁までの地下通路は無数のランナーで混雑しており、真っ直ぐに歩けない。みんな静かに着替えやマッサージなどをしている。

妙な緊張感。ちょっとした隙間を見つけて素早く着替えを済ませ、荷物預けのトラックを探す。しかし、簡単に前に進めない。トイレ待ちの行列と荷物預けに進む人がぶつかって、人の動きが滅茶苦茶だ。おまけにトラックまでの数10メートルは大雨の中を歩くしかない。
立体交差の下で、1周30メートルぐらいのサークルを約50人のランナーがグルグル回っている。ウォーミングアップなのか。見ていて気持ち悪い。まるで蟻の行列だ。ようやく荷物を預け、そこでもらったメトロのポンチョを被り、雨に濡れるがまま、スタートエリアに向かった。

すでに何百人という人、人、人がエリアに集合している。指定のエリア(Iゾーン)に入り、少しでも前へ前へと進む。スタートはできるだけ前にいるほうが、走りがスムースという経験からの知恵。8時35分。スタートの9時10分まで30分以上ある。

予想以上に雨が強い。段々寒さを感じてくる。その場で軽くストレッチ、脚上げ、その場跳び、いろいろやってみる。しかし、身体が温まるわけではない。時計が進むのが遅いのはなぜだ。周りでもぶつぶつ言っている。時計を何度見ても大して過ぎていない。すでに靴の中に雨が染み込んでいるのが分かる。寒い。跳ぶ。寒い。手がかじかんでくる。寒い。

ようやく9時10分。号砲。音は聞こえないがスクリーンの慎太郎の動きで理解する。待ちに待ったスタートだ。しかし、動かない。……、ちょっと動く。そしてすぐ止まる。そんなことの繰り返し。スタートラインに辿り着いたのは号砲から10分後だった。スターター席に慎太郎、反対側のスタンドには雨に濡れながら歌ってくれた合唱団。その間を通過して、ようやく、ようやくスタートした。(次へ続く)

2011年10月24日月曜日

東京マラソンドキュメント②

2年ぶりの大会、諏訪湖のハーフ。
曇り、気温やや高めというまずまずのコンディションでした。
会場へ歩いて行く途中、チップを忘れたことに気づき、慌てて引き返すアクシデントもありましたが、30分前には会場到着。整列には余裕で間に合いました。

走りだしの5kは意識して抑え、その後少しずつペースを上げるという作戦。しかし、抑えたペースから上げていくというのは結構難しく、結局ずるずるとそのままのペースを維持するのがやっと・・・。
さらに15k過ぎからは急激なペースダウンにはまり、密かに設定していた目標タイムはその段階で諦めざるをえません。それでも何度も何度も気合を入れなおしゴールを目指す・・・。
結果は前回より4分、ベストより11分遅い、きわめて平々凡々なタイム。トレーニング不足です。

成果は左膝靭帯痛の対処法に確信がもてたこと、右足甲の違和感が出なかったこと。

東京マラソンドキュメント①のトレーニングと比較すると、60%の月間走距離しかできていない現状。今回の結果は致し方ない事実として受け止めるしかありません。12月のフルに向けてスイッチの切替えをします。

富岡製紙場前にある民家。長ーい(50m以上?)瓦屋根の
  中央は崩壊してはいるものの両サイドは居住者あり

  東京マラソン07【第2章 前日】

エントリー手続きに東京ドームへ行く。
アリーナエリアにゼッケン配布、オフィシャルグッズ販売、スポーツ各社の販売、といったブースが並び、多勢のランナーでごった返している。とくに各社の販売エリアでは商品を求める人が殺到し、真っ直ぐには歩けないほどだ。そんな中、明日の目印として決めた赤い帽子を探す。マラソン大会は本番も興奮するが、前日のエントリー手続きもそれなりの緊張感があってなんともいえない。

夕方から雨が降り明日の午前には上がるという予報だが、スタート時には上がってほしい。

テーピングのための太ももから脛までの除毛も完璧。ウェアの防水スプレーもできた。あとは天気のみだ。(次へ続く)

2011年10月21日金曜日

東京マラソンドキュメント①

ワタスゲ湿原を歩く後輩諸氏10/6-8
昨日の讀賣夕刊には驚きました。
すべての広告スペースが真っ白、まさか印刷もれかと思うような。白いスペースは各ページにあり、15段1ページ、全10段・7段・5段、すべて真っ白のスペースに、コピーがたった1行。たとえばトップぺージには全2段の真ん中に、「東日本大震災の直後、広告が消えた新聞をおぼえていますか。」の27文字だけ。別のページには「医師も薬も、足りない日々。眠れない夜だけが、人々に訪れていました。」と。

度肝を抜く、震災復興支援の広告のあり方です。読者と競合をあっと言わせる、訴求力抜群のこれぞ新聞広告。

先日、東京マラソンの落選通知がきました。その日から数日はジョギング仲間の残念メールが入り乱れていました。たった一人だけ、仲間の夫が当選したようです。それにしても全員総崩れとは、狙われてるのでしょうか。個人的には1回目、2回目は連続当選し、まわりに羨ましがられたものですが、その後は反動のように落選続きです。いっそ湘南マラソンのように先着順にしてくれれば、自己責任ですっきりすると思いますが…。

気を取り直して、07年の1回目、08年の2回目の東京マラソンドキュメントを数回に分けて掲載することにします。


■東京マラソン07【第1章 トレーニング】

本番6日前(2月12日)、
ホノルルの終了からしばらく休みを取り、トレーニングを再開したのが12月29日。それから今日まで丁度250k走った。これまでとは全く違う走り方だ。総距離だけでなく、1回当たりの距離が15キロと安定してきたのが、今回の成果といえる。携帯に残した日々のトレーニングメモ・・・。
1229日:1周から再開。お腹が重たい。
1230日:2周。わりと気持ちよく。
1231日:昨日のトレーニングのせいで筋肉痛。スロージョグで2周。
11日:走り初め1周。朝からの酒でやや重たい。
12日:右膝に違和感、歩きのみ4キロ。
13日:箱根応援と硫黄島映画でジョグ休止。
14日:筋肉痛もなく快調に3周。
16日:ブセナホテルのランニングマシンで6キロ。
17日:ブセナから90分走。走りは快調だが、走った後左足首に違和感。
18日:左足首に違和感あり、スロージョグで50分。
113日:足の痛みも取れ気分良く2周
114日:山田氏と合トレ。3周を28分イーブン。最後にスロージョグ1周。
120日:快調に3周。29分、28分45秒、27分30秒とペースアップ。
121日:筋肉痛を感じつつようやく3周。29分10秒、29分30秒、28分50秒。
126日:帰宅後軽く2周。
127日:コンディションイマイチなので、ジョグで3周。久々に谷川真理と遭遇。かなり早い。
128日:超スロージョグで1周を3回、疲れがたまっているのか。
130日:左太ももに疲れが残っている。スロージョグで2周。
23日:歯医者の長時間治療のせいで背中が痛い。なんとか我慢して4周。
24日:背中の痛みはとれた。超スロージョグで3周。
210日:スロージョグで3周。今日は暑いくらい。
211日:乗りが悪く1周のみ。
212日:最終のトレーニングとしてスロージョグ1周、261周
  (*1周は約5kのコースです。)

週間天気予報では曇り時々雨の予報。ウェアに悩みそうだ。雨だけは勘弁してほしい。(次へ続く)