2011年3月30日水曜日

いま、何をすれば

内堀通りに咲く沈丁花
震災復興支援の義援金。いろんな機関があることを改めて知る機会となりました。その機関のひとつが今朝のニュースで「阪神淡路大震災のときより2.5倍の義援金が集まっている」とコメントしていました。今回は企業に限らず個人の寄付が多いということです。それだけ甚大な被害に衝撃を受け、一人ひとりが「何かしなけりゃ」という気持ちになっているのだと思います。

私の出身の地元では同級生の仲間が自農をグループで始めています。彼らは作品である野菜を朝市などで販売して、購買者のお役にたつことを楽しみにしています。
10日ほど前の日曜日、彼らはチャリティ朝市を実施しました。売上を被災地の義援金として寄付するということです。被災地から遠く離れた土地ですが、「何かしなければ」という気持ちが人を動かし、チャリティ朝市という形につながったのです。もう数十年も会ったことがない仲間もいますが、彼ら同級生に私は誇りを感じました。

リタイア後の趣味の野菜作り、仲間との時間共有、人とのつながり、遊び仲間づくり、といったことが事の始まりだと想像しますが、このような形で心のこもった、そして強い意志のアクションにつなげていることは大変素晴らしいことです。

「できることを何かしたい」「何でもいいから被災地の復興に役立ちたい」、多くの人がそんな気持ちに駆られています。

原発問題の煽りで福島、茨城などの野菜が危ないという報道がされています。場合によっては地元同級生の彼らに野菜を送ってもらうのもありかな、そんな考えがよぎったこともありました。でも、それはきっぱり止めました。当分は福島、茨城産の野菜を避けることはしません。農家の人たちをを応援します。真の摂取制限とは何なのかしっかり考え、いま何をすればいいのかじっくりと悩むこと、そして悩みぬいた行動に…。

2011年3月27日日曜日

RUN WITH US

一昨日、あるマラソン大会の中止連絡を受けました。あの地震でコース途中にある橋が一部崩落したこと、そして被災地域の状況を慮っての中止判断でしょう。当然のことです。すでに送金した参加料はTシャツ費用など実費を除いて、残金は義援金として寄付するということです。わずかな金額ですがなんらかのお役に立てればと思います。
これで3回連続、マラソン大会の機会を逃してしまいました。母のお見舞い、母の四十九日、そして3.11。 ○歳を記念してマラソンを走りたいという気持ちが強かっただけに、残念なことではあります。

大学時代の仲間とジョギングクラブを結成して月に1度の「走+飲み」を楽しんでいます。年に2、3回はマラソン大会に出てますが、いまや自己新を狙うというよりも、現状維持が目標となっています。記録よりも大会の緊張感とお祭り気分を楽しむことに満足している、といえばやや負け惜しみになるかも
知れません。

TBSホノルルマラソン映像
RUN WITH US
前を向いて一緒に走ろうよ、という気持ちをこめてのネーミングです。3.11以来、被災地だけでなくつらい気持ち、俯きたくなる気持ち、苦しい気持ちになっている人がだんだん多くなっているような気がしてなりません。(杞憂であればいいのですが)。 RUN WITH US  そんな人たちがこのブログに触れたときに、そうだ前を向いて走ってみようという気分転換ができれば、…そんな願いをこめて書いていきます。

2週間


近所の紫モクレン名所
原発報道は日々、一進一退の状況をメディアで流し続けています。はたして好転しているのか、そうではないのか、素人には推し量ることができません。ただ、今朝来たあるメーリングリストの情報によると、筑波に住む学識者たちは日常と変わらぬ生活をしているということなので少し安心しました。政治家はもとよりTVでコメントする専門家の話も、ほんとにそうなんだろうかと半分疑って聞いています。まさしく疑心暗鬼ということでしょうか。放射性物質に水道水が汚染されたニュースとともに、乳児のミルクを作るときに水道水を使わないようにという告知もされました。しばらくすると、乳児は水分が不足すると健康に良くないからミネラル水がなければ水道水を飲ませるように、という政府や専門家のコメントが発信されました。母親をとまどわせる情報が入り乱れています。

.11から2週間が過ぎました。これだけ不安定な状態がここまで(この後もずーっと)続くとは、だれが予想できたでしょう。毎日の余震、原発の不安情報、被災地の映像、日々のすべてに知らず知らずのうちになれきってしまっているような気がします。そう思うと背筋がぞっとします。一方では計画停電は生活のなかにも交通機関の統制にも、そして企業活動にも徐々に馴染んできているようです。「仕方がない」「被災地のことを考えればこれくらいのこと」という日本人的な心情が働いているからでしょうか。とは言っても、今度の夏は心配です。25%の電力不足が予想されているからです。猛暑にならないことを祈ることしかできませんが。

内堀通りに咲く沈丁花
.11の頃は私が大好きな沈丁花が満開だったはずです。今年はあの香りを楽しむこともできず終わってしまいました。先週あたりから近くの公園では紫モクレンが咲き出しました。今度の週末には桜もきれいな花を見せてくれるはずです。桜の名所では花見の設営が淡々と進んでいます。ただ水戸の偕楽園の梅は今が満開なのに、被災のために閉園になっていると昨日の新聞に出ていました。大変残念なことです。今年の花見はいつもとは違う光景になるかも知れません。日本のこと、人生のこと、復興のこと、いろんなことにしみじみと想いを馳せつつ花を愛でる。

国も揺れ、人の気持ちも揺れ

日没、旅先にて
原発問題への対応状況は皆さんメディアでご覧の通りですが、首都圏ではもう1つ、計画停電というものが今日から本格実施に入りました。いまや、原発問題と計画停電に対する情報収集とその対応策を協議・決定するのが、会社の定例業務となりました。

そして今日は、夕方以降大型の予期せぬ停電があるかもしれないという発表を受けて、早々と家路を急ぐ人々が薄暗い銀座周辺に溢れていました。数日前からデパートの閉店時刻が早くなり、主だったネオンも消え、賑やかだった銀座が裏通りのようになっています。千葉方面行きのバス乗り場には、今まで見たこともない100mほどの列ができていました。身を切るような寒風が強い中、いつになったらバスに乗れるのでしょう。

原発問題への政府・専門家のメッセージは未だに楽観的印象を受けますが、欧米韓各国は在日の人たちに避難帰国を促がすメッセージを、大使館を通じて発信しています。一方では「がんばれ日本」というメッセージを送りながら・・・。安全圏は20k外なのか80k外なのか、200k離れた東京も安全とは言えないのか。いろんな情報に人の気持ちが揺れています。関西出身者の一部は実家に帰りました。すでにPTSDのような状態に近い人もいるようです。

被災地の復興が一日も早く本格化すること、被災者にすぐにも物資が届けられること、原発問題が一刻も早く決着すること、毎日の余震が一日も早くおさまることを願うばかりです。計画停電は長期化するはずです。東京を中心とした経済は停滞するでしょう。株も円もどうにもならない状況になるかもしれません。でもそんなことより、人の気持ちが揺れ続けることは何とかしなければと・・。

3.11 当日のこと

東北方面にご実家があったり、親戚、知人の方がいらっしゃる方は消息確認できたでしょうか。一刻も早く連絡がとれ安全を確認できることをお祈りします。

(私の体験を記させていただきます。)
「いつもの地震であればもう揺れもおさまるはずなのに」というのが大揺れの途中に感じたことです。しかし揺れはとどまらず、60秒か90秒は揺れが続いたのではないでしょうか。第2の地震がくるまでの数分間はオフィス(築地、5階)の内部を見回り、階段の壁が一部崩落しているのを確認していました。

そのうち、上階の会社の皆さんが数十人、帰る格好をして階段を下り始めました。「帰宅か避難指示が出たのかなー」「うちはどうしようか」なんて話しているところに、縦揺れがドスン、ドスンときました。すぐに反応して避難指示。避難場所はすぐそばの小学校校庭です。すでに300人ぐらいの会社員、近隣の住民、小学生が集まっていました。しばらく校庭に座って待機していましたが、どの段階で
どういう判断がなされるか分からず、また今にも雨が降り出しそうだったのでいったん帰社することに。(書いている最中にまたもや地震、ちょっと大きい)。

交通機関がすべてストップしている状態でしたが、帰れる人、子供の関係とかで早く帰りたい人は帰るように勧めました。(4時半ごろ)。市川方面18キロ、多摩センター方面40キロ、荻窪方面13キロ、いくつかのグループが帰路に向かいました。ハイヒールで歩き出した女性には帰宅を止まるか、途中で靴を買うかアドバイスすれば良かったと後悔しています。

7時半の段階で宿泊せざるを得ない人数を確認しましたが、3拠点で合計60名程度。約3分の1の人数です。近隣のホテルに問い合わせしても電話が通じないか満杯。水と非常食をコンビニで調達することはできました。毛布など一切ないのでダンボールなどで何とか凌ぐしかありません。

私は8時半に会社を出て歩き出しました。寒風が強く、結構寒い。遠方者には会社に止まることを勧めるべきだったとまたもや後悔。銀座、日比谷あたりの車道は駐車場状態と化し、歩道から人が溢れ、道幅が狭くなると離合のために歩行者渋滞。延々とその状態が続いていました。警察官が必死に交通整理しているのを見て非常事態にあることを改めて実感。

家に帰り着くと、箪笥がベッドに倒れ、本棚から本が落ち、食器棚からガラス類が落ちて割れ・・・。東京タワーも曲がっています。

携帯メールはなかなか通じませんでしたが、何度もトライすればたまに送信できます。災害伝言板は初めて活用しました。

テレビで東北方面の惨状を見るにつけ、想像を絶する津波の脅威に恐ろしさを感じざるを得ません。
被災によってお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。