2011年8月30日火曜日

会庄仙米

発売されたときから気になっていた本。
遅ればせながら20日ぐらい前に購入し、先日読了。
船戸与一の「新・雨月 戊辰戦役朧夜話(ぼしんせんえきおぼろやわ) 上下」。
戊辰戦争を奥羽越側から俯瞰して理解する助けになりました。

戊辰戦争は薩摩・長州を軸とした官軍と会庄仙米(会津・庄内・仙台・米沢)そして長岡を中心とした奥羽越列藩同盟の戦いとも言えます。慶応4年正月の鳥羽伏見に始まり函館の終結にいたるまで、1年半におよぶ日本最大の内戦になりました。列藩同盟がなぜ成立したのか、そしてなぜ瓦解したのか、長岡藩はなぜ列藩同盟に参加せざるを得なかったのか、その背景が全体構図をイメージしながら分かってきます。

梼(ゆす)原のたんぼ、のどかなひと時

終章では敗戦側への厳しい処分について触れています。斗南藩(下北半島)への減知転封で旧会津藩士たちが厳寒の地での開墾がままならず、飢餓にさらされたことは映画にもなりよく知るところ。しかし戦争終結後、死者の埋葬が禁止されていたということは、初めて知る驚きの事実です。会津若松の城下だけでなく、周辺の山中にも戦死者の遺体が長らく放置されていたそうです。こうした敗者へのあまりにも熾烈な仕打ちが、のちの西南戦争における“会津抜刀隊編成”という政略的戦術につながったり、そして今も“禍根”として地元の人たちに残っているのは事実です。


1年前に読んだ佐藤賢一の「新徴組」は江戸の治安を取締っていた庄内藩と新徴組から見た戊辰戦争、そして長岡藩の河井継之助の目を通した戊辰戦争を描く司馬遼太郎の「峠」。敗者の目線で全体を見渡してみるというのはことの本質を理解するうえで非常に大切なこと、あらためての感想です。

2011年8月27日土曜日

映画酷評

全映画ファンに衝撃と絶賛の嵐!
早くもアカデミー賞の呼び声高く! インターネットで話題騒然! カンヌ映画祭パルムドール最高賞受賞 そのほか、ありとあらゆる賞賛のコピーが並べ立てられて・・・・。 
昨日の夕刊、映画「ツリー・オブ・ライフ」の全5段広告です。

1週間前に新聞の広告ではなく、論評を読んで観にいこうと決めました。監督も寡作で知られる、「シン・レッド・ライン」のテレンス・マリックだったこともあって・・・。

佐多岬から佐賀関へ向かうフェリー 
島原‐熊本のフェリーのようなかもめは全くいない
始まって5分、右後ろの方からいびきが。結構大きな雑音です。そして数分後には“失敗か”という言葉が頭に広がり、そしていつの間にか私まで眠りに誘われ。すると隣の女性も頭がガクッとしていま起きた、ようでした。終わるのが待ち遠しい映画、始まって5分でそう思ってしまう映画は初めてかもしれません。

1950年代のアメリカ。父と子の愛憎を描く、心象風景に入り込んだ作品。父がブラピ、子がショーン・ペン。監督が・・・。というだけで観たいと思った私が甘かった。なにせ、最初の30分は意味不明、制作者の自己満足の世界でスクリーンセーバーのような画像の垂れ流しです。制作費はそうかかりません、でしょう。

「お金返してほしいわ」、「なにが言いたいのかさっぱり分からない」といった声が出口ホールのあたりで聞こえてきました。決して「いい映画だったね」という声はひとつもなく。

久々の映画だったのに、後味悪く残念でした。
次回は「日輪の遺産」か「ゴーストライター」か。

2011年8月22日月曜日

きっと好き

KIT SUKI と書きます。
TSの字間をつめればKITSUKI(杵築)になります。
ちなみに“愛が真ん中にある町”は軽井沢です。KARU I ZAWA 確かにI(アイ)が真ん中にあります。このような遊びを誰が考えついたのでしょう。感心します。
大分の宿泊先でなぜか杵築のパンフレットが目立っていたので、急遽、足を伸ばすことにしました。


象徴的な杵築の坂、たまたまモデルのご夫婦が上っていた

杵築は3万2千石の小藩です。
三方を海に囲まれた小さなお城と城下町の名残りがある静かなたたずまい。長い坂、長い石段が町づくりの象徴になっています。

小さな藩なのに徳川家ゆかりの松平氏が統治していたそうです。それはなぜか。
熊本や薩摩といった九州の雄藩に対する監視の役目を当藩が担っていたから、というのが現地ガイドの方の解説でした。ということは資金的にも恵まれていたのでしょうか、現存するお屋敷にはそれとなく品格を感じました。

お屋敷から望む水平線
「○○の小京都」は全国いたるところにありますが、この杵築も同様「豊前の小京都」として紹介されています。しかし、「小京都」の名を借りなくても十分に魅力のある土地だと思いました。お屋敷から望むはるか水平線には左に佐多岬、右に佐賀関が見えます。昨日フェリーで渡ったルートです。横から見るとますます四国と九州の接近度が実感できます。


べたつかない海風が心地よい。


2011年8月20日土曜日

フェリー70分

追伸、須田剋太。
北海道美瑛の丘で須田剋太の作品にふれることができます。大阪の焼き鳥屋のオーナーが蒐集してきた数10点の絵画等が展示されています。オーナーは司馬遼太郎を介して須田剋太の作品に出合い、その後集めた作品をどこか相応しい場所で展示したいと考え日本中を歩いたそうです。そしてようやく見つけた場所が十勝岳が眺望できる美瑛の丘でした。そこに古民家を移築して“新星館”と名付けた美術館を開いたということです。

富良野・美瑛に行くたびにお邪魔していますが、この2年はご無沙汰しています。

四国最西端、佐多岬
さて、梼原のあと佐多岬からフェリーで佐賀関へと向かいました。地図で見ると四国から九州に向かって、まるで注射針が突き出ているかのような佐多岬半島。その先に佐賀関半島、別府湾があり、四国と九州、二つの陸地を結ぶ船便が予想以上に運行されていることに驚きました。最短コースは三崎-佐賀関の70分。

 佐多岬突端を過ぎると九州がぐんぐん近づいてきます。遠く内陸の方に目をやると阿蘇の山々も確認することができます。四国と九州はこんなに近い。


佐賀の乱で敗れて四国に逃げた江藤新平は逆ルートを辿ったのか。

2011年8月16日火曜日

脱藩と千枚田の地へ

梼原町役場、斬新な概観

「街道をゆく」、司馬遼太郎の街道探訪記シリーズ。
その中に"梼(ゆす)原街道"があります。
龍馬脱藩ルートとして梼原は知る人ぞ知る維新ゆかりの地。

龍馬が梼原から韮が峠を越えて伊予に入り、長州へ向かったのが約150年前のこと。
梼原は幾重もの山に抱かれた静かな町。土佐の志士たちがここで別れの盃をかわし、決死の覚悟で峠に向かったのです。

その一人が龍馬、坂本龍馬。

高知からここまで来るのも想像以上の山越え(今は多数のトンネルで短縮)、そして梼原から先も同じくらいの厳しい山越えの連続です。気力、体力、そして何よりもそれらを支える大志がなければ貫徹できないルートです。

梼原千枚田
梼原にはもうひとつの楽しみがありました。「街道をゆく」の挿絵画家、須田剋太が描いた梼原千枚田の実物を見ることです。須田剋太の激しい筆さばきと独特の色合い、構図の棚田を見て以来、須田剋太のファンになり、棚田への関心をもつようになりました。

しかし、わくわくしながら展望台に立ったものの、予想よりも棚田の傾斜が緩やかだったことに、・・・。以前は520枚の田があったようですが、車道、農道の設置によって今ではあの絵とは違うイメージに。目線の違いもあるのでしょう、あの天を突く迫力が伝わってきません。

脱藩の志士たちは間違いなくこの千枚田を見ながら坂道を辿ったはずです。

2011年8月14日日曜日

土佐へ

高知城、追手門側より

弘前、松本、丸岡、犬山、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、そして高知。現存する木造天守閣はいまや日本に12城しかないそうです。


高知に入ったのが午前9時前。宿泊先に荷物を預けてすぐに高知城へ。清流のせせらぎを眺めつつ県庁裏に聳える天守閣に向かいました。ちょっと歩くだけで汗が吹き出し流れ落ちます。段差が大きい石段と城内の階段。熊本城のような勇壮さ、姫路城のような華麗さはありませんが、領地を360度見渡す為政者の威信を満たす城だと思います。幕末に活躍した容堂候になったような気持ちで天守閣からの眺望を楽しめました。


ひろめ市場でかつおに舌鼓をうち、よさこい祭りへ。約180チーム、2万人の踊り子たちが乱舞する予想を上回る大迫力。鳴子を両手にもって思い思いの振り付けでそれぞれのチームが個性ある踊りを披露しています。高校生、高専生、大学生、職場、商店街、県内外を問わずまさしく老若男女、チームが一体となって激しい踊りを繰り広げます。その踊りを盛り上げるのがチームに1台ずつの先導車。デコレーションしたトラックに音響、照明の設備、掛け声係の人。これもよさこい独自の演出なのでしょうか。お城とかつおと、よさこい祭り。そして龍馬資料館。盛りだくさんの高知初日を終了。

2011年8月9日火曜日

京都 大文字

蓼科のイングリッシュガーデンにて


こんな場合、私たちはどう考えればいいのでしょう。
昨日のネットニュースから転載します。

東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の「高田松原」の松で作った薪(まき)を「京都五山送り火」(16日)で燃やす計画が中止になったことに対し、8日朝から、京都市の大文字保存会の事務局を務める市文化財保護課に非難が殺到した。「期待していた被災者の気持ちをくむべきではないか」などの意見で、8日午後1時現在、約40件に上っている。保存会は、被災者らに犠牲者の名前や復興への願いを書き込んでもらった薪の奉納を計画し、400本が集まった。しかし、放射性セシウムに汚染された稲わらを食べた牛の肉が流通した問題などで心配が広がり、検査を実施。放射性セシウムは検出されなかったが、現地の関係者と協議して中止を決定した。これに対し、市民らから「根拠のない理由で中止するのは差別ではないか」「風評被害を助長する」などの電話があった。

昨日のTVでは、京都で別の板を用意して“復興への願い”を書き写しているということです。被災地の願いと送り火が一体となる熱い企画であったのに、なんだか気持ちがこもらない、薄っぺらなものになってしまいます。さらに言えば被災地の皆さんの心に傷をつけてしまいます。そして企画者のなんとも言えぬ無念さを思うと心が痛みます。
かたや今朝のネットニュースでは、長野 善光寺のことが記事になっています。陸前高田の倒木を加工した木札が販売されており、さらに14日の震災慰霊法要ではその木札がやぐらに祀られ復興祈願がなされる、と。

蓼科のイングリッシュガーデンにて 雨の滴がきれい
これから先もこのような事例はいくつも出てくるでしょう。その対応には慎重にあたってもらいたいと思います。決して情や雰囲気に流されない、科学的根拠に基づいた対応であること、それを願ってやみません。(京都は昔から保守的な土地柄だと言われています。その影響も大きいのでしょうか。)

2011年8月4日木曜日

初日に定員オーバー

東京マラソンエントリー。今年は大安を待ってのエントリーです。

第1回、第2回と連続して当選し、第2回は自己ベストの走りができた相性の良い大会。…… のはずだったのに、第3回から3回連続落選。サポートエントリーを得ながらもなかなか当選に結びつきません。

蓼科のイングリッシュガーデンにて
サポートエントリーというのは第3者にエントリーしてもらい、当選したら権利を譲ってもらうという姑息な方法です。かなりの人が手を染めているようです。また、スポンサー枠とか団体エントリーとかいろんなものが入り混じっているので、当選を勝ち取るのは至難の技。若い女性のランニングブームもさらに競争率を高めています。

さて、今年のエントリーは…。初日の8月1日に定員をオーバーする3万人以上が殺到しています。今日時点ではかるく2倍は超えたことでしょう。期待せず、しかしトレーニングは重ねつつ、10月の抽選日を待つことにします。


蓼科のイングリッシュガーデンにて
それにしても玄海の件、おかしなことになっています。大臣が現地に安全説明に出向いたあとの知事コメントがあまりにもあっさり、かつ具体性がないと感じていましたが、こんな落ちがあったとは…。責任ある立場にある人は自らの言葉に慎重になってもらわないと。今回の件は発言が軽すぎます。明らかに思惑が読め、確信犯と思われても仕方ありません。

原発は人にとって“uncontrollable” なものという認識にたって、ゼロベースから戦略を立て直すことはできないのかなー。

2011年8月1日月曜日

諏訪湖でLSD

蓼科のイングリッシュガーデンにて

 このところ、長めの距離に気力がついていけてません。
いつものコースも2周(10K)がやっとという状況です。先日、LSDを意識して走りだすも結局2周でストップ…。




LSDとはLong Slow Distance 、ゆっくりと長い距離を走るということです。長い距離、長い時間に身体を慣れさせるのが目的です。

週末諏訪湖に出かけた際に、1周16KのLSDに挑戦しました。(16KはLSDと言うには微妙な距離ですが)。涼しく感じるくらいのコンディション、最高です。760mの標高もあるでしょうが、東日本は目まぐるしく変わる天候のためか冷たい空気が入り込んでいるようです。途中雨に降られながらも、10K過ぎまでは順調なLSDでした。しかし、徐々にいつもの弱気が出て、ついに12Kでコースアウト。水道水でうがいをし、100mぐらい歩いたあと気を取り直して再スタート。想定より時間がかかり過ぎですが何とか1回の挫折のみでゴール。

控えめながら久々の達成感。


蓼科のイングリッシュガーデンにて

しばらくは周回コースをただ走るだけでなく、LSD、インターバル、坂道ダッシュ(?できるわけない)など走りに変化をつけ、体力だけでなく気力強化をねらっていくことにします。(したいです)


今日から東京マラソンエントリー開始。
どうせまた落選?? いやいや!!