| 当時の道標でしょうか、ひっそりと佇んで |
田原坂。
西南戦争は最後の内戦と言われていますが、その戦いで最も多くの犠牲者を出したのが田原坂です。17日間で4千名の戦死者という激戦につぐ激戦。なぜそれほど多くの犠牲者が出たのか…。
先月末に訪れた山鹿、田原坂、熊本城、鹿児島、知覧。
いずれも初めての地ではありませんが、30年ぶり?の田原坂は海音寺潮五郎の「田原坂」を読んだばかりということもあって、自身の視点も変わりあらためて史実の確認をすることができました。
| みかん畑の向こう、戦場跡を臨んで |
なぜ田原坂が戦略拠点として重要だったのか。
なぜ薩摩示現流が俄か兵士に負けたのか。
なぜ新政府は薩摩軍を徹底して叩いたのか。
そもそも西郷さんはどんな気持ちで鹿児島を出発したのか。
記念碑の近くに立つとすぐに雨が降り出すという、見事な演出。
雨はー降るふーる、人馬はーぬーれーる、越ーすーに越ーされぬ、たばるざーか。
西南戦争は一部、旧賊軍・会津と旧官軍・薩摩の戦い。会津が官軍として、賊軍となった薩摩に恨みをはらす戦いでもあったと言われていますが、一方では薩摩と薩摩の戦いという事実もあります。新政府としての薩摩と新政府から離反した薩摩、「大久保」と「西郷」の戦いです。そのため戦場では、近親者が、友人が、師弟が、敵味方に別れて殺しあう、壮絶この上ない戦いが繰り広げられたといいます。
西郷さんが戦死したあとたった半年で大久保さんも暗殺されています。鹿児島の観光バスでそのガイドを聞いたとき、とても不思議な気持ちになりました。
雨で桜島が見えない、残念な城山からの眺望でした。
雨で桜島が見えない、残念な城山からの眺望でした。
小生、熊本に縁があり約10年関わっていました。
返信削除田原坂、今でも鉄砲の玉が出てくるそうです。
ものすごい激戦だったんですね。
敵・味方の鉄砲の玉がぶつかり合ったのが沢山あるんです。
ここから、延岡をへて、日向で耳川の戦いに敗れ、城山に帰って行くんですよね。
清張の名作「西郷札」は高鍋に落ちて行った西郷軍が苦肉の策として発行したものが題材になってますね。いろんな悲劇が生まれた戦いだったと思います。
返信削除先日の旅は秋月スタートだったので、偶然ですが戦跡を訪ねるコースになりました。