2011年10月11日火曜日

維新政府の大英断


中学の社会科で習った富国強兵・殖産興業。教科書には八幡製鐵所と富岡製糸場の写真が掲載されていたように記憶しています。以前から高速で近くを通るたびに見学に行きたいと気になっていたのが富岡製糸場です。ようやく連休3日目に訪れることができました。

キーストーンには明治5年、創業年が

1万6000坪の広大な敷地に長さ100mを超える(最長140m)建物数棟を含め多くの施設が現存し、明治5年の創業当時にタイムスリップします。ボランティアのご老人の元気なガイドで約50分、広い施設をめぐりながら富岡製糸場に関する知識を深めることができました。そして初めて知ったことがいくつかありました。





1つめ。フランス人によって工場建設の建白がなされ、建設と製糸技術導入もフランス人によるものであったこと。2つめ。日本で最初の官営製糸場であり、ここで技術習得した工女は地元に帰り、技術を普及するという仕組みであったこと。3つめ。敷地内に医療施設や教育施設があり、かつ労働時間も8時間強という工女にとって働きやすい環境にあったこと。そして最後に、昭和62年までの115年という長期にわたっての操業であったことです。
官営から途中、片倉工業という民営に移っています。片倉といえば諏訪湖の岡谷が発祥で、周辺の製糸場で働く女性のつらく悲しい物語が「あぁ野麦峠」として読み継がれています。女工哀史という言葉もその物語で生まれたものだと思います。富岡製糸場にはガイドで耳にする限り、医療施設や教育施設を見る限り、そのような“哀史”を垣間見ることはできませんでした。…果たしてなにが違ったのでしょう。

柱がない構造に工夫された天井

世界遺産暫定リストに記載されて以来、それまで来訪者数が多くても100人ほどだったのが、1000人を超える日もあるということです。その日も10~11時で、小学生の社会科見学とリタイア組の皆さんで200人は超えていたかもしれません。


日本の近代産業がここから始まった、そして第二次世界大戦の頃まで製糸業を日本の輸出産業の柱に成長させ日本を支えてきた、…感慨深いものがあります。

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