東北方面にご実家があったり、親戚、知人の方がいらっしゃる方は消息確認できたでしょうか。一刻も早く連絡がとれ安全を確認できることをお祈りします。
(私の体験を記させていただきます。)
「いつもの地震であればもう揺れもおさまるはずなのに」というのが大揺れの途中に感じたことです。しかし揺れはとどまらず、60秒か90秒は揺れが続いたのではないでしょうか。第2の地震がくるまでの数分間はオフィス(築地、5階)の内部を見回り、階段の壁が一部崩落しているのを確認していました。
そのうち、上階の会社の皆さんが数十人、帰る格好をして階段を下り始めました。「帰宅か避難指示が出たのかなー」「うちはどうしようか」なんて話しているところに、縦揺れがドスン、ドスンときました。すぐに反応して避難指示。避難場所はすぐそばの小学校校庭です。すでに300人ぐらいの会社員、近隣の住民、小学生が集まっていました。しばらく校庭に座って待機していましたが、どの段階で
どういう判断がなされるか分からず、また今にも雨が降り出しそうだったのでいったん帰社することに。(書いている最中にまたもや地震、ちょっと大きい)。
交通機関がすべてストップしている状態でしたが、帰れる人、子供の関係とかで早く帰りたい人は帰るように勧めました。(4時半ごろ)。市川方面18キロ、多摩センター方面40キロ、荻窪方面13キロ、いくつかのグループが帰路に向かいました。ハイヒールで歩き出した女性には帰宅を止まるか、途中で靴を買うかアドバイスすれば良かったと後悔しています。
7時半の段階で宿泊せざるを得ない人数を確認しましたが、3拠点で合計60名程度。約3分の1の人数です。近隣のホテルに問い合わせしても電話が通じないか満杯。水と非常食をコンビニで調達することはできました。毛布など一切ないのでダンボールなどで何とか凌ぐしかありません。
私は8時半に会社を出て歩き出しました。寒風が強く、結構寒い。遠方者には会社に止まることを勧めるべきだったとまたもや後悔。銀座、日比谷あたりの車道は駐車場状態と化し、歩道から人が溢れ、道幅が狭くなると離合のために歩行者渋滞。延々とその状態が続いていました。警察官が必死に交通整理しているのを見て非常事態にあることを改めて実感。
家に帰り着くと、箪笥がベッドに倒れ、本棚から本が落ち、食器棚からガラス類が落ちて割れ・・・。東京タワーも曲がっています。
携帯メールはなかなか通じませんでしたが、何度もトライすればたまに送信できます。災害伝言板は初めて活用しました。
テレビで東北方面の惨状を見るにつけ、想像を絶する津波の脅威に恐ろしさを感じざるを得ません。
被災によってお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
私は幸い妹と一緒だったから、観葉植物やTVが倒れないように落ち着いて抑えることができたけど、大きくて長い揺れで、本当にマンションが折れるんじゃないかと思うくらい怖かった><
返信削除旦那は会社の指示で2時間歩いて帰ってこれたのはいいけれど、次の日高熱が出て、2日間寝込んでたよ…
今までこんなに大きな地震を経験したことがなかったので、どのように行動したらいいか分からずとても不安でした。テレビの情報を信じるしかなくて、ずっとつけっぱなしにしてました。
返信削除地震当日は旦那が会社から帰って来れず、私はポチココを抱きながらリビングの安全な場所にいました。余震が来るたびにテーブルの下に避難しての繰り返しで全然寝れなかったです。